『新 絵心教室』
1. 青リンゴが“青信号”に
※この社長が訊くインタビューは通訳を介して行われたものですが、
全文を日本語にして掲載しています。
- 岩田
- 今日はニンテンドー3DSソフト『新 絵心教室』、
欧州では『New Art Academy』というタイトルが
どのように生まれたのかをお訊きするために、
日本の任天堂の開発チームと、
英国にあるKuju Entertainment(※1)のみなさんに
集まっていただきました。
では、今回のプロジェクトで何をしたか、
Kujuさんのおふたりから自己紹介をお願いします。 - タンク
- タンク・ダイクウェルズです。
Kuju Entertainmentには
いくつかの開発スタジオがあるのですが、
わたしはその中のひとつ、
Headstrong Gamesに11年間勤めてきました。
前作の『絵心教室』(※2)のときから
このプロジェクトに関わってきまして、
今回もスーパーバイザーとして、
アートやゲームデザインの観点から、
開発全般を見る仕事を担当しました。
Kuju Entertainment=英国内に、スタジオを持つゲーム開発会社。設立は1998年。
『絵心教室』=『わりと本格的 絵心教室』。2009年11月に、ニンテンドーDSiウェアとして、前期と後期に分けて配信された絵画レッスンソフト。また、2010年6月には、パッケージソフトとして『絵心教室DS』が発売された。
- ジェイソン
- ジェイソン・ハワードです。
前作の『絵心教室』のときから関わってきまして、
今回はリードアーティストとして
個々のレッスンの制作や監修を担当しました。
- 寺崎
- 企画開発本部の寺崎です。
今回はプロデューサー役をつとめましたが、
本当の役割は“生徒A”でした(笑)。
- 岩田
- それはつまり、Headstrongさんのおふたりが“先生”で、
寺崎さんは“生徒A”なんですね(笑)。 - 寺崎
- はい。
前作の『絵心教室』のときからずっと、
“生徒A”という立場でやってきました。 - 岩田
- 『絵心教室』がはじまった頃から、
寺崎さんは、わたしのところにやってきては、
「こんな絵が描けました!」と
自分の絵を自慢しに来ていましたよね。 - 寺崎
- ええ。
- 岩田
- 寺崎さんの隣に座っているおふたりは、
わたしの何倍も、寺崎さんに
描いた絵の自慢をされたんじゃないですか? - 宮地
- そのとおりです(笑)。
寺崎さんからものすごくたくさんの絵を
見せられた、宮地です。
- 岩田
- (笑)
- 宮地
- 開発の立場としては、ゲーム内容の監修や
サポートなどの全般的な仕事を担当しました。
でも、このゲームへの本当の関わりかたで言うと、
“生徒B”です。 - 岩田
- はい(笑)。
では、“生徒C”の一条さん。 - 一条
- はい。先に言われてしまいましたけど(笑)、
“生徒C”の一条です。
ただ、僕はプロジェクトの後半から参加しましたので、
どちらかというと“転校生”という感じでした。
今作では、主に3DSの本体機能を使った
システム部分のやりとりを担当しました。
- 岩田
- さて、本題に入る前に、
Headstrongさんと任天堂のおつきあいのはじまりについて、
寺崎さんとタンクさんから話してもらえますか? - 寺崎
- はい。その質問はあるだろうなと思って、
前もって古い記録を調べておいたんですけど・・・
タンクさんとはじめて会ったのは
2003年の8月でした。 - 岩田
- ちょうど9年前になりますね。
- 寺崎
- そうです。そのときは、
のちに『突撃!! ファミコンウォーズ』(※3)になった商品の
プロトタイプ(試作品)を見るために、
当時はまだ「Headstrong」と名乗っていなかった
Kujuさんのロンドンスタジオにお伺いして、
お話を聞かせていただいたのが、最初の出会いです。
『突撃!! ファミコンウォーズ』=2005年10月に、ニンテンドーゲームキューブ用ソフトとして発売された戦略ウォーアクションゲーム。また、Wiiでも『突撃!! ファミコンウォーズVS』が、2008年5月に発売されている。
- 岩田
- タンクさん、任天堂と
はじめておつきあいしたときの印象はどうでしたか? - タンク
- 寺崎さんがおっしゃったように、
はじめてお会いしたのは9年前のことなので、
当時のことを思い出すのはすごく難しいんですけど、
すごくエキサイティングな出来事だったことは
よく覚えています。
実際に『突撃!! ファミコンウォーズ』の開発がはじまると、
任天堂ならではの仕事のやりかたや、
ゲームデザインの哲学に触れることができました。 - 岩田
- で、『突撃!! ファミコンウォーズ』を2本つくって、
そのあとに『絵心教室』をつくったんですよね。 - タンク
- はい。
- 岩田
- でも、その2種類のソフトを、同じ人たちが
つくったようにはとても思えないですよね。
ジャンルもゲームの目的もまったく違うものですし。
- タンク
- そうですよね(笑)。
- 岩田
- 何がキッカケで
『絵心教室』が生まれることになったんですか? - タンク
- わたしたちはもともと、
ミリタリーやホラー系のアクションゲームを
得意にしている開発スタジオなんです。
そこから、『絵心教室』へのつながりを説明するのは
とても難しいのですが、あえて言うとすれば、
わたしたちが“アートスタイル”に
とても重きを置いていたということです。 - 岩田
- アートにこだわりをもって
ゲームをつくってこられたんですね。 - タンク
- はい。それである時、
DSのハードウェアをじっと眺めていて、
「このタッチペンは何のためにあるんだろう?」
と、思ったんです。そこで
「きっと絵を描くためのものじゃないか?」
と気づいたとき、
「では下の画面は?」
「 絵を描くための画用紙だろう」
「すると上画面は?」
「チュートリアルに使うためだ」と、
連鎖的にアイデアが浮かんできたんです。 - 岩田
- 『絵心教室』のアイデアの原型は、
そうやってあっという間に生まれたんですね。 - タンク
- そうです。
ただ、先ほど岩田さんが
『突撃!! ファミコンウォーズ』と『絵心教室』を、
「同じ人たちがつくっているとは思えない」
とおっしゃいましたが、それはまさしくそうでした。
ですから、任天堂にプレゼンする前に、
まずはKujuの経営陣を説得する必要がありました。 - 岩田
- 戦略シミュレーションゲームをつくっていた人たちが、
「絵のトレーニングソフトをつくりたい」と
いきなり言い出したので、
社内の人たちもすごく驚いたんでしょうね。 - タンク
- はい。なのでプロトタイプ(試作品)をつくって、
なんとか社内のOKをもらってから、
寺崎さんに見てもらったんです。 - 岩田
- その提案を、最初に受けた寺崎さんは
“生徒A”として、このプロダクトを推し進めた
張本人だったわけですよね。 - 寺崎
- はい。
- 岩田
- 何が寺崎さんをそこまでさせたんですか?
- 寺崎
- あの・・・ゲーム会社で働き出すと、
まわりにプロの絵描きさんがいっぱいいるんです。
その気持ち、岩田さんだったら
きっとわかってくださると思うんですけど(笑)。 - 岩田
- たしかに、わたしたちは
ものすごく絵のうまい人たちに
囲まれていますよね(笑)。 - 寺崎
- そんな環境の中で働いてると、
「おれには絵が描けねえや!」
と開き直っちゃうんです。
- 岩田
- 寺崎さんの学生時代の専門は・・・?
- 寺崎
- 電気系です。
- 岩田
- だったら回路図は・・・。
- 寺崎
- 書けません(キッパリ)。
そもそも僕、絵を描くのがイヤなんです。 - 岩田
- イヤなんですか(笑)。
- 寺崎
- それくらい絵を描くことに
苦手意識を持っていたんですけど、
30分だけだったら、
なんとかがまんして描けると思ったんです。
そこで、レッスンは基本、
30分で終わるものにしてもらって、
リンゴを描いてみたら、
なんと、描けてしまったんです。 - 岩田
- それで、うれしそうにわたしのところにやってきて、
リンゴの絵を見せてくれたんですね。 - 寺崎
- はい。本格的な絵が描けることで、
「自分のように喜ぶ人が大勢いるだろうなぁ・・・」
と思いました。 - タンク
- 寺崎さんの描いたリンゴは、
製品版では赤リンゴになりましたけど、
プロトタイプのときは青リンゴだったんです。
ですから、その青リンゴがわれわれにとって、
プロジェクトを進行してもいいという、
“青信号”にもなったわけですね。 - 一条
- タンク先生、うまいこと、言いますね(笑)。