『New スーパーマリオブラザーズ 2』
1. 「マリオ塾」
- 岩田
- 今日はニンテンドー3DSで発売される
『New スーパーマリオブラザーズ 2』についてお訊きします。
まず自己紹介と、今回の役割についてお願いします。 - 天野
- ディレクターを担当しました、天野です。
『スターフォックス64 3D』(※2)のときにも
「社長が訊く」でお話をして、今回で3回目になります。
- 岩田
- そうでしたね。
- 天野
- 今回も何かに導かれるように、
『マリオ』を担当することになりました(笑)。
今日はよろしくお願いします。
「スーパーマリオ25周年」=2010年に、ファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』の発売から25周年を記念して行われたキャンペーン。
『スターフォックス64 3D』=2011年7月に、ニンテンドー3DS用ソフトとして発売されたシューティングゲーム。
- 石川
- 制作部の石川です。
わたしはちょっと前になりますが、
社長が訊く『マリオカート7』(※3)の回に出て、
その前は『New スーパーマリオブラザーズ Wii』(※4)にも関わりました。
今回の『Newマリオ2』ではデザイン全体の取りまとめを担当し、
実作業では、プレイヤーまわりのデザインや
ゲーム全体の演出面での調整などを行いました。
『マリオカート7』=2011年12月に、ニンテンドー3DS用ソフトとして発売されたアクションレースゲーム。
『New スーパーマリオブラザーズ Wii』=2009年12月に、Wii用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
- 岩田
- はい。ではまず、
このプロジェクトの成り立ちから
訊きたいんですけど。
ふつう、ゲームって、まず基本システムをつくってから
コースのデザインをはじめるというイメージがあるんですが、
このソフトの成り立ちは、ちょっと普通とは違いましたよね。 - 天野
- はい、そうでした。
今回は、コースデザインを研究するチームが
先行してコース開発に動いていて、
実際に商品化をするために、
あとから他のスタッフが招集されるという
僕にとっては、はじめてのパターンでした。 - 岩田
- コースデザインを研究するチームというと、
通称「マリオ塾」と呼ばれていたものですね? - 天野
- はい。もともと、王道の横スクロール『マリオ』は、
情報開発本部の制作部でつくってきたんですが、
今回は、情報開発本部だけでなく、
企画開発部など、他の部署の人たちも集めて、
手塚(卓志)(※5)さんが、
『マリオ』のコースのつくりかたを
説明するということがありまして、
僕自身も、そこに生徒として加わっていたんです。
手塚卓志=情報開発本部 制作部 統括。『スーパーマリオ』シリーズや『ヨッシー』シリーズ、『どうぶつの森』シリーズなど、数多くのゲーム開発に関わる。過去、社長が訊く「スーパーマリオ25周年」『スーパーマリオ』生みの親たち篇などに登場。
- 岩田
- 「マリオ塾」はどういう理由ではじまったんですか?
- 天野
- 手塚さんは、2Dマリオの根本的な面白さみたいなものは
コースデザインが重要な要素になっているということで、
それを深く知る人を社内で増やすために塾を開いたそうです。
この塾の運営には、手塚さんだけでなく、
中郷(俊彦)さん(※6)も深く関わっていました。
中郷俊彦さん=株式会社SRD代表取締役社長。『スーパーマリオブラザーズ』をはじめ、ファミコン黎明期から任天堂のソフト開発に関わり、今作『New スーパーマリオブラザーズ 2』ではアドバイザーとして参加。過去、社長が訊く「スーパーマリオ25周年」『スーパーマリオ』生みの親たち篇などに登場。
- 岩田
- 天野さんも塾に参加したということでしたが、
どんな印象だったんですか?
- 天野
- そうですね。
もちろん、塾には参加していたんですけど、
『スターフォックス64 3D』の開発も続いていて、
本格的には参加できていませんでした。
ただ、実際に「マリオ塾」が開かれて
いつもの倍くらいのスタッフで制作されているコースを、
『New スーパーマリオブラザーズ Wii』の開発者の立場として
遊ばせてもらっていたのですが、
新しい遊びかたのコースがたくさんできてきて、
手ごたえを感じたので
「マリオ塾」はすごくいい試みだなぁ、と思っていました。
- 岩田
- まったく他人事のように、
横目でそれを見ていたんですね(笑)。 - 天野
- はい(笑)。
そう思っていたのに、突然、手塚さんから
「実は3DSで次の『マリオ』の開発を予定している。
ディレクターをしてくれないか?」と、
声をかけられたんです。
「そういうことか・・・」と、なってしまったんですけど(笑)。 - 岩田
- 当事者ではないつもりだったのに、
一番の当事者にならないといけない立場になったんですからね(笑)。 - 天野
- しかも、今回は、ほぼ同時期に、
Wii Uの『マリオ』(※7)がつくられていて、
はじめて、2本の2Dマリオを
同時に開発することになったんです。
Wii Uの『マリオ』=『New SUPER MARIO BROS. U』。Wii U用ソフトとして開発中のアクションゲーム。
- 岩田
- 2本の『マリオ』がハードが違うとはいっても、
「それぞれどう特徴を持たせるのか?」、
すごく悩むところだとは思うんですけど、
そのあたりのことは、
天野さんにドンとあずけられたんですか? - 天野
- いえ、「マリオ塾」のスタートのときから
手塚さんと、中郷さんが深く関わっていましたし、
僕としては、一人ではなく、いっしょに考えていた感じでした。
でも、お2人とも
「なんとかなるやろ」という感じで・・・。 - 岩田
- 「なんとかなるやろ」なんですか(笑)。
- 天野
- そうなんです。
それに、僕がディレクターに任命された頃は
デザイナーもいない状態で・・・。 - 岩田
- 任天堂、ひどいことをしますねぇ(笑)。
- 天野
- はい(笑)。なので、あの当時は本当に、
「どうしよう・・・」という感じでした。 - 岩田
- 手塚さんや中郷さんは
「なんとかなるやろ」と言い、
天野さんは「どうしよう・・・」
という感じだったわけですね。
- 天野
- そうです。
- 岩田
- で、石川さんがアートディレクターとして、
あとから参加してくることになったわけですね。 - 石川
- はい、そうです。
- 岩田
- でも、去年(2011年)の後半まで、
石川さんは『マリオカート7』に
べったり付きっきりだったんですよね? - 石川
- そうなんです。
しかも『マリオカート7』のちょっと前に、
『スーパーマリオ 3Dランド』(※8)が出ましたけど、
このソフトは王道の『スーパーマリオ』に近い、
クラシックな表現を積極的に取り入れてつくられていましたので、
「次に2Dマリオを担当する人は大変だろうなぁ」と、
思っていたんです(笑)。 - 岩田
- 他人事のように思っていた人が、
ここにもいましたか(笑)。
『スーパーマリオ 3Dランド』=2011年11月に、ニンテンドー3DS用ソフトとして発売された3Dアクションゲーム。
- 石川
- 『マリオカート7』の開発が終わってすぐ、
「やってくれないか?」と言われたので、
「ええっ!?」と、かなり驚いたことを覚えています。 - 岩田
- 当然、驚きますよね。
「担当する人は大変だろうなぁ」と思っていたのに、
自分がなんとかしなきゃいけなくなったわけですから。 - 石川
- ただ、すでにその時点で
『3Dランド』の開発に関わっていた
東京制作部のデザイナーが2名加わることが決まっていて、
さらに、そのあとにデザイナーの編成で、
『マリオカート7』に関わったデザイナーも
数名加わることになったんです。 - 岩田
- ニンテンドー3DSで、
実際のゲームづくりを経験した人たちが、
次々とこのプロジェクトに加わることになったんですね。 - 石川
- はい。なので、
「これは面白いことができそうだ・・・」と
ものすごく楽しみな気持ちに変わっていきました。 - 天野
- でも、このプロジェクトの中心メンバーで、
過去に2Dマリオに関わってきた人は
僕と石川さんしかいなかったんです。 - 岩田
- 2Dマリオの開発に関わってきた人たちは、
いま、Wii Uで『マリオ』をつくっていますからね。
手塚さんや中郷さんが、「マリオ塾」の講師時代から
開発に至るまで、過去の2Dマリオ以上に
近い距離でいっしょにつくったとはいえ、
いままでにないつくりかたでしたからね。 - 天野
- そうなんです。
デザイナーさん以外のスタッフについても、
企画開発部から何人か参加することになりました。 - 岩田
- 企画開発部からは
けっこうバラエティに富んだ、
ダイナミックレンジの広い人たちが
参加したみたいですね。 - 天野
- はい。すごくゲームにくわしい人たちから、
そうじゃない人たちまでいたんですけど、
そこは先ほど言いました、
「マリオ塾」がものすごく役に立ったんです。
王道の『マリオ』にある、根本的な面白さを
しっかり理解し、しかも実際にコースづくりを
経験して、参加してきましたので、
土台がしっかりできた状態で、
このプロジェクトをはじめることができました。
- 岩田
- そういう意味では、コースづくりの方法論や、
コースづくりを担当する人に、
新しい血が入ったということですね。 - 天野
- はい。ですから、
「これまでのチームがつくってきたものとは、
また別の新しいものをつくれそうだ」
という予感がありました。 - 岩田
- しかも、そういうチームにしたからこそ、
『New マリオ』を2つ同時に進行するという、
かつては決してできなかったことが
今回は実現できている、ということなんですね。