『ポケモン不思議のダンジョン
~マグナゲートと∞迷宮(むげんだいめいきゅう)~』
1. 「あり得ない組み合わせ」
- 岩田
- 本日は、株式会社ポケモン(※1)の石原さんと、
株式会社スパイク・チュンソフト(※2)の
長畑さんと、冨江さんにお越しいただきました。
『ポケモン不思議のダンジョン ~マグナゲートと∞迷宮~』
についてお訊きしたいと思います。
株式会社ポケモン=ポケモンのブランドマネジメントを行うほか、全国7か所のポケモンセンターも運営する。2000年設立。本社・東京。
株式会社スパイク・チュンソフト=『ポケモン不思議のダンジョン』『風来のシレン』などゲームの企画・開発・販売・運営を行う。2012年設立。本社・東京。
- 岩田
- ポケモンの石原さんには
「社長が訊く」には何度も出ていただいていますから、
あらためてご紹介するまでもないと思いますので
あえてご紹介しませんが(笑)、
長畑さんはこれまで
『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』(※3)や、
『風来のシレン』(※4)などの
『不思議のダンジョン』シリーズ全般に
ずっとかかわっておられた方ですよね。
今回はどういったかかわりかたをされたんですか? - 長畑
- 今回もゲームの全体的な企画と、
ディレクションを担当させてもらいました。
『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』=ダンジョンRPG『不思議のダンジョン』シリーズのひとつ。シリーズ1作目の『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』は1993年9月、スーパーファミコン用ソフトとして発売された。
『風来のシレン』=ダンジョンRPG『不思議のダンジョン』シリーズのひとつ。シリーズ1作目の『不思議のダンジョン2 風来のシレン』は1995年12月、スーパーファミコン用ソフトとして発売された。
- 岩田
- 冨江さんは、どの部分を担当されたのですか?
- 冨江
- これまでわたしは『風来のシレン』シリーズの
脚本や絵コンテなどを手がけてきまして、
今回は主にシナリオを担当しました。
- 岩田
- はい、ではみなさん、今日はよろしくお願いします。
まず『ポケモン不思議のダンジョン』シリーズ(※5)は
「社長が訊く」初登場となりますので、
「『ポケモン不思議のダンジョン』がいかに生まれたのか?」
というところからお訊きしたいと思います。
やはり、石原さんが言い出してはじまったのですか?
『ポケモン不思議のダンジョン』シリーズ=『ポケットモンスター』をベースとした『不思議のダンジョン』シリーズのひとつ。1作目『ポケモン不思議のダンジョン 青の救助隊・赤の救助隊』は、2005年11月にニンテンドーDSで『青の救助隊』、ゲームボーイアドバンスで『赤の救助隊』がそれぞれ発売された。
- 石原
- そうですね、はい。
話せば長くなるんですけど・・・。
ものすごく長く話すか、ちょっとにするか、
どうしますか?(笑)
- 岩田
- すみませんが、“ちょっと”でお願いできますか?
今日は、新作の紹介がメインテーマですので(笑)。 - 石原
- わかりました(笑)。
じつは僕とチュンソフトさんはファミコンソフトの
『テトリス2+ボンブリス』(※6)のころから
一緒に仕事をしているんですけど、
『ポケモン不思議のダンジョン』ができたのは
僕が『トルネコの大冒険』をプレイして、
「そのクオリティの高さや奥行きにおどろいた」
ということがやっぱり大きかったと思います。
そもそも『不思議のダンジョン』の大本って、
“『ローグ』(※7)的ゲーム”とよくいわれる、
昔のダンジョンRPGですよね。
『テトリス2+ボンブリス』=1991年12月、ファミコン用ソフトとして発売されたパズルゲーム。プロデューサーとして石原氏が、ディレクターとして中村光一氏(元チュンソフト代表取締役社長、現スパイク・チュンソフト代表取締役会長)が参加。
『ローグ』=『Rogue』。1981年、UNIXOSで開発されたダンジョン探索型のコンピューターRPGゲーム。『ローグ』の流れをくんだゲームは“『ローグ』的ゲーム(ローグライクゲーム)”と総称される。
- 岩田
- そうですね。
“『ローグ』的ゲーム”というのは
ダンジョン探索型のRPGで、
挑むたびにマップが書き替わり、
地形も、どうぐやモンスターの配置も変わるので、
何度プレイしても飽きがこない奥深さがありますね。
その面白さを十分に詰め込んで、
誰でも遊べるようにしたソフトが、
『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』でした。 - 石原
- 当時、「1000回遊べるゲーム」
というキャッチコピーでしたけど、
僕も本当に1000回は遊んだんです。
それで『ポケモン』をつくるようになって、
「いつか『不思議のダンジョン』シリーズと
『ポケモン』が結びつくゲームをつくりたいなぁ」
と考えていたところに誕生したのが、
『ポケモン不思議のダンジョン』です。 - 岩田
- そのときからのパートナーが、
長畑さんと冨江さんなんですか? - 石原
- そうです。第1弾のときから
「ある日、ポケモンになっちゃった!」
という物語を紡いできたのが、冨江さんです。 - 岩田
- 長畑さん、『ローグ』的なゲームが
『不思議のダンジョン』シリーズになるまで、
どのような過程を経ているんですか?
最初、家庭用ゲーム機のお客さんに
どこまで受け入れていただけるのか、
わからないところからのチャレンジでしたよね? - 長畑
- はい。当時はドラクエ的なRPGが主流の世の中で、
『ローグ』的なゲームは一般的に
あまり知られていませんでしたし、
“賭け”みたいなところはありました。
数時間、ときには数十時間プレイしても
一気にゼロに戻ってしまうこともありますから。
でも基本的には、開発スタッフ全員が、
「これって絶対面白いよ」というモチベーションから
スタートしました。 - 岩田
- 確かにこの遊びには
「心の修行」のような要素がありますよね。
ゲームの構造は面白いけど、
ときにはきびしくて、泣きそうになることもある。
でも、そういう面白さを「たくさんの人に広めたい」
という強い動機があったんですね。 - 長畑
- そうです。
いざ、発売してみたら、
思った以上にお客さんに受け入れてもらえたので、
ホッとしました。 - 岩田
- でも『不思議のダンジョン』シリーズが、
『ポケモン』につづいていくという道のりも、
またチャレンジですよね。
『ポケモン』も『不思議のダンジョン』も、
双方にゆずれない作法が山ほどある中で、
どうやって折り合いをつけていったんですか? - 長畑
- わたしも最初にこの話を聞いたとき、
「うまくいくのかな・・・」とは思いました。 - 岩田
- わたしがはじめて聞いたとき、
「あり得ない! でも、できたら面白い!」
と思ったんです。
「あり得ない組み合わせ」というのは、
うまくつながったときの破壊力や伝搬力が
ものすごく強いですから。
最近も『ポケモン+ノブナガの野望』(※8)で
まったく同じことを感じました。
『ポケモン+ノブナガの野望』=2012年3月に、ニンテンドーDS用ソフトとして発売されたシミュレーションゲーム。ポケモンとコーエーテクモゲームスによって共同制作された、『ポケットモンスター』と『信長の野望』とのコラボレーション作品。
- 長畑
- そうですね。
- 岩田
- ただ、うまくいくことは保証されていないのに、
リスクばかりがたくさん見えて、足がすくむはずなんです。
なぜ、つくり手の自分たちが乗り越えられたと思いますか?
そしてどうしてお客さんに受け入れられたと思いますか?
- 長畑
- ひとつは冨江が書いたシナリオがよかったので、
ゲームの仕組みにスムーズに持っていけたこと。
あとはポケモンが持っている魅力を
ドット絵で力を入れて表現できたことが
よかったのかな、と思います。 - 岩田
- 冨江さんは、この難しいお題のシナリオに、
どう答えを出したんですか? - 冨江
- 最終的には、
「ポケモンの魅力をどう出すか?」
というところだと思っていました。
じつは、最初のシナリオは
「ポケモンになっちゃった」ではなくて、
別の話を書いていたんです。
でも、石原さんにシナリオを見せたとき、
「じつはこういう案もあるんですけど」
ってもうひとつ出したものが・・・。 - 岩田
- 「ポケモンになっちゃった」だったんですね。
- 冨江
- はい。それで石原さんが
「こっちでいきましょう」と決めてくれました。
たしかに“ゲームらしいシナリオ”を考えたとき、
自分がポケモンになっちゃったほうが、
より感情移入できると思ったんです。 - 岩田
- ちなみに、石原さんが選んだ理由は
どこにあったんですか? - 石原
- 「これまで体験したことのない遊びになる」
と感じたことと、
『不思議のダンジョン』におけるストーリーとして、
「いちばんリアルで、フィットしている」
と感じたんです。
『不思議のダンジョン』の本質といえば、
あえて言いますけど、
“倒れた結果を競い合うゲーム”だと
わたしは思っているんですけども(笑)。 - 岩田
- やられかたを自慢しあう一面が、確かにありますね(笑)。
- 石原
- そんな“いさぎよさ”があるダンジョンRPGに、
冨江さんのシナリオが加わることで、
新たなポケモン世界の物語を
深く読み解くための“装置”として、
ダンジョンがうまく配置されていったんです。
だから、もともとつくりたかった
ダンジョンRPGに新しい要素が加わって、
「ゲームに広がりが生まれたな」
そう感じたのが第1作目でした。