『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』
オリジナルスタッフ 篇 その1
1. 「運命を変えたソフト」
- 岩田
- 今日はよろしくお願いいたします。
- 一同
- よろしくお願いいたします。
- 岩田
- 今日は、1998年11月に発売された
NINTENDO64ソフト『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の
開発の中心になっていた人たちに集まっていただきました。
その当時、どんなことをしていたのか、
自己紹介をお願いします。 - 大澤
- はい。企画開発部の大澤です。
わたしは『時のオカリナ』の開発がはじまるときに、
情報開発部に呼ばれて仕事をすることになったんですが、
このプロジェクトにはディレクターがたくさんいて、
そのなかでわたしは、最年長ということで、
総合ディレクターのようなことをしていました。
- 岩田
- ディレクターは何人くらいいたんですか?
- 大澤
- 全部で5人です。
そこでわたしは、各ディレクターから意見を聞いて、
「はいはい、わかりました。ではこうしましょう」
みたいな感じで、調整役をやらせてもらったのと、
ストーリーやシナリオの部分も担当していました。 - 小泉
- 東京制作部の小泉です。
最近は東京で『マリオギャラクシー』(※1)や、
『うごくメモ帳』(※2)をつくっていますが、
わたしは京都にいた時代に、
『マリオ64』(※3)から『時のオカリナ』へと、
3Dアクションゲームを連続でつくることになって、
いま思い出そうとしても、
「何をやっていたんだっけ?」
というくらい、いろんなことを担当しました。
- 岩田
- ひとことでは言えないくらい、
いろんな仕事にかかわっていたんですね。 - 小泉
- はい。3Dゲームの環境の構築にかかわりつつ、
カメラ設計にかかわり、プレイヤーキャラクターのリンクをつくったり、
アイテムをつくったり、イベント関係にもちょっとかかわりました。
『マリオギャラクシー』=『スーパーマリオギャラクシー』。Wii用ソフトとして発売された3Dアクションゲーム。1作目は2007年11月、2作目は2010年5月発売。
『うごくメモ帳』=2008年12月に配信が開始された、無料のニンテンドーDSiウェア。タッチペンで手書きメモを作成できる。また、何枚も書いたメモを再生して、パラパラマンガ(動画)をつくることができる。
『マリオ64』=『スーパーマリオ64』。NINTENDO64と同時に発売された、マリオ初の3Dアクションゲーム。1996年6月発売。
- 河越
- 環境制作部の河越です。
もともとわたしは『マリオ64』で
カメラのプログラムを担当していましたので、
「そのノウハウを活かしてほしい」と言われて、
『時のオカリナ』のプロジェクトに入ることになりました。
- 岩田
- 当時はカメラプログラムを担当してたんですか?
- 河越
- はい。ただ、『時のオカリナ』のカメラプログラムは、
ここにいらっしゃる岩脇さんが所属する
SRD(※4)さんが担当されることになっていましたので、
わたしは、アドバイザーとして参加することになったんです。
ところが、大澤さんのシナリオが
かなり大がかりなものになってきていたので、
かなりのムービーシーンが必要になってきて。 - 岩田
- 最初はアドバイザーのつもりだったのに、
いつの間にかどっぷり入ることになったんですね。 - 河越
- そうなんです。
そこで、ムービーシーンをつくるための
ツールの開発にかかわって、
気がついたときには絵コンテも描くようなこともして、
そのままムービーパートを
メインで担当するという流れになっていました。
SRD=株式会社エス.アール.ディー。1979年に設立された、ゲームソフトのプログラムの受託開発や、CADパッケージの開発・販売などを行う会社。本社は大阪にあり、京都事業所は任天堂本社内にある。
- 岩田
- 現在の河越さんの仕事は、
社内のあちこちで、ムービーパートの必要性が出ると、
河越さんが所属する映像制作グループに依頼がきて、
そのサポートをするというのがメインになっていますけど、
そのような業務に携わるようになったのは、
このソフトがきっかけだったと言ってもいいんでしょうか? - 河越
- そうです。
明確に映像制作の一員として動き出したのは、
『時のオカリナ』が初めてのことでしたから。 - 岩田
- 「河越さんの運命は大澤さんの大きなシナリオが変えた」
ということなんですね。 - 河越
- そうです、まさにそのとおりです(笑)。
- 大澤
- え、そうなの?
- 河越
- ええ(笑)。
- 岩田
- 振り返ってみると、『時のオカリナ』は
たくさんの人の将来の仕事を決めた
プロジェクトでもあったんですよね。 - 大澤
- 確かにそうですね。
そういう人が何人か、いましたし。 - 青沼
- そうそう(笑)。
- 岩田
- 「そうそう」って・・・青沼さんこそ
運命が決まった代表選手じゃないですか(笑)。 - 青沼
- あ、はい。まさにそうですね(笑)。
- 岩田
- では、運命が決まった青沼さん、
自己紹介をお願いします。 - 青沼
- 情報開発本部の青沼です。
今回の『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』や、
現在制作中のWii版の『スカイウォードソード』(※5)では
プロデューサーを担当していますが、
そもそも『ゼルダ』にかかわったのは、
N64版の『時のオカリナ』が最初でした。
『スカイウォードソード』=『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』。Wii用ソフトとして2011年発売予定のシリーズ最新作。
- 岩田
- いまや「『ゼルダ』といえば、青沼さん」
ということになっていますけど、
それ以前はいろんな仕事をしていたんですよね。 - 青沼
- そうです。
- 岩田
- 青沼さんが入社したての頃、
わたしといっしょに仕事もしましたし。 - 青沼
- そうでしたね(笑)。
岩田さんといっしょにつくったソフトは
残念ながら世に出すことはできませんでしたけど。
僕はそんな感じで、外部の会社さんと
いっしょに開発することが多かったんです。
でも、どうしても任天堂社内で開発をしたくて、
宮本さんにしつこく頼んでみたら
「『ゼルダ』で人が足らなくなったから、
ちょっと入ってくれ」と言われたんです。
なので、僕は、このメンバーのなかでは、
いちばん後発で『時のオカリナ』に参加しているんです。 - 岩田
- 開発の初期からは参加していなかったんですか。
- 青沼
- ええ。ですから、僕が入ったときは、
シナリオもある程度できていて、
中身をどんどんつくりこんでいく段階だったんです。
そこで僕は、序盤と中盤の計6つのダンジョンの設計、
敵キャラクターのほとんどの設計、
それに敵やボスのバトルの設計を担当しました。 - 河越
- 絵コンテとかも描いていましたよね。
- 青沼
- あ、そうです。
あのときは絵コンテを描ける人は
みんな描いてましたよね。 - 大澤
- 僕も描いてたし(笑)。
- 岩田
- あの頃の仕事の境界はとてもあいまいで、
誰かがやらなきゃいけないことは、
それに気づいた人が拾ってやりました、
みたいなのばっかりだったんですよね。 - 青沼
- まさにそうでした。
ですから、ここにいるメンバーだけでなく、
『時のオカリナ』にかかわったスタッフのほとんどは、
「ここからここまでが自分の仕事だ」とは
ちゃんと言うことができないと思うんです。 - 河越
- 自分も、今回の「社長が訊く」のために、
昔の資料を引っ張り出してみたんですけど、
「昔の自分はこんな仕様書も書いてたんだ!」って(笑)。 - 岩田
- 自分でも驚く感じなんですね(笑)。
- 河越
- ええ(笑)。
こんなことも、あんなこともやってた、って
自分でもビックリしました。 - 岩田
- では、岩脇さん、お願いします。
- 岩脇
- メインプログラムを担当しましたSRDの岩脇です。
わたしも青沼さんと同じで、
『ゼルダ』はこれが初めてでした。
- 岩田
- それまで岩脇さんは、何を担当されていたんですか?
- 岩脇
- 『マリオ』シリーズをずっとやっていまして、
『マリオ64』のときは小泉さんと
ずっといっしょに仕事をさせていただいたので、
その流れで、このプロジェクトに参加することになりました。 - 青沼
- 岩脇さんには
長い期間、本当に無理なことばかり言って、
ご迷惑をおかけしました。 - 岩脇
- いえいえ(笑)。
- 青沼
- 岩脇さんは、僕らが考えたアイデアを、
どんどん実現していただくというところで
活躍されていた方なので・・・。
やっぱり大変でしたよね? - 岩脇
- いや、それは・・・。
- 岩田
- 無茶ぶりが多かったでしょう?
- 岩脇
- いや、無茶というか・・・(笑)。
- 岩田
- 青沼さんが考えたボスの仕様を筆頭に、
無茶ぶりばっかりだったんじゃないでしょうか。 - 青沼
- そうなんです(笑)。
- 小泉
- いや、でも僕は『マリオ64』から『時のオカリナ』に至るまで
岩脇さんとはずっといっしょに仕事をしてきましたから、
無茶ぶりだったら、青沼さんに負けませんよ(笑)。 - 一同
- (笑)