『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』
オリジナルスタッフ 篇 その2
1. 楽しかった日々
- 岩田
- よろしくお願いします。
- 一同
- よろしくお願いします。
- 岩田
- 前回の「社長が訊く」に引き続き
青沼さんには残っていただき、
N64版『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の
オリジナルスタッフ篇その2をはじめたいと思います。
先ほどは同窓会のようでしたね(笑)。
- 青沼
- はい。また楽しい話を聞かせてもらいます(笑)。
- 岩田
- では、当時、みなさんが何を担当していたのか、
春花さんから、自己紹介をお願いします。
- 春花
- 情報開発本部の春花です。
わたしは小泉(歓晃)さんが担当していた
リンク以外のキャラクターのモデルやアニメーションを
ほぼひとりで担当していました。
- 岩田
- 当時は、分業が進む前の時代でしたから、
ひとりで何でもしましたよね。
- 春花
- そうですね。
ひとりで全部をコントロールできるという意味でも
とても面白かったです。
- 滝澤
- 情報開発本部の滝澤です。
キャラクターは春花さんがつくっていましたので、
僕はボスや敵キャラクターを担当していました。
そのボスを動かすことに関しては、
SRD(※1)の森田さんの胸をお借りして、
自分がデザインしたボスが、生き生きと動きだすのを
日々楽しみながら仕事をしていました。
SRD=株式会社SRD。1979年に設立された、ゲームソフトのプログラムの受託開発や、CADパッケージの開発・販売などを行う会社。本社は大阪にあり、京都事業所は任天堂本社内にある。
- 宮永
- 情報開発本部の宮永です。
当時はフィールドデザインを担当していました。
このゲームにはたくさんのフィールドが登場しますが、
僕はそのなかで、最初の舞台であるコキリの森や、
ハイラル平原などを担当していました。
- 森田
- SRDの森田と申します。
先ほど滝澤さんが言われたとおり、
『時のオカリナ』ではボスキャラクターの
プログラムをメインに担当しまして、
あとは釣りのミニゲームとかも・・・。
- 岩田
- 森田さんといえば釣り、ですよね。
- 森田
- いえいえ(笑)。
- 青沼
- 森田さんはプログラムだけでなく、
「釣り堀」に出てくるおっちゃんの
スクリプト(テキスト)も書いていたんです。
- 森田
- あ、そうでした。
「釣り堀」のおっちゃんは大阪弁をしゃべりますので、
僕がまずセリフの見本を書いて、
それをスクリプトディレクターの大澤(徹)さんに渡して
手直ししてもらっていました。
- 春花
- あと、森田さんにはセリフだけじゃなく、
「釣り堀」のおっちゃんの顔や動きに関しても
たくさんリクエストをいただいたんです。
たとえば・・・(わきをかく仕草をしながら)
「こういう動きをしてください」とか、
わざわざラフスケッチまで描いてきて
「顔はこうじゃないといけない」とか。
- 森田
- ああ(笑)。
- 春花
- 先ほど、僕は
「キャラクターをひとりでコントロールできるのが
とても面白かった」と言いましたけど、
この「釣り堀」のおっちゃんだけは
コントロールすることができませんでした(笑)。
- 一同
- (笑)
- 岩田
- 森田さん、それほどリクエストが多かったのは、
もしかしてリアルなモデルがいたからじゃないんですか?
- 森田
- ええ・・・じつはそうなんです(笑)。
僕はもともと、釣りが趣味なんですが、
実家は大阪の寝屋川にありまして、
近所にお世話になっていた釣り具屋さんがあるんです。
その店主さんがモデルといいますか。
- 岩田
- やっぱり。
- 森田
- はい(笑)。
- 春花
- だから「ああだ、こうだ」と言われて、
少なくとも2、3回はリテイクをもらったと思います(笑)。
- 一同
- (笑)
- 岩田
- 森田さんの「釣り堀」に関するお話は、
のちほどたっぷりお訊きしますので
よろしくお願いします。
- 森田
- はい(笑)。よろしくお願いします。
- 岩田
- さて、春花さん、滝澤さん、宮永さんの3人は、
『時のオカリナ』をデザインするメンバーのなかの
中心にいたスタッフだったわけですが、
当時はみなさん若手でしたよね。
- 春花
- そうですね。
- 岩田
- 春花さんは、『時のオカリナ』の前は、
どんな仕事にかかわっていたんですか?
- 春花
- N64時代でいうと、
『マリオ64』(※2)でマップのデザインをして、
そのあとに入った『スターフォックス64』(※3)では、
UI(ユーザーインターフェース)と
デモ映像のデザインや監修を担当していました。
『マリオ64』=『スーパーマリオ64』。NINTENDO64と同時に発売された、マリオ初の3Dアクションゲーム。1996年6月発売。
『スターフォックス64』=NINTENDO64用ソフトとして発売された3Dシューティングゲーム。1997年4月発売。
- 岩田
- 春花さんは入社何年目になるんですか?
- 春花
- 今年で18年目です。94年入社ですから。
- 岩田
- 94年に入社して、
すぐにN64の仕事にかかわったんですか?
- 春花
- いえ、入社してしばらくは
小田部(羊一)さん(※4)の指導を受けながら、
アートワークの仕事をしていました。
初仕事は『カービィボウル』(※5)のイラストを描くことで・・・。
- 岩田
- え? 『カービィボウル』ですか?
- 春花
- はい。
- 岩田
- 春花さんだったんですか?
『カービィボウル』のイラストを描いたのは!?
- 春花
- あ、はい。そうなんです(笑)。
- 岩田
- ああ・・・それは知りませんでした。
その節は、ありがとうございました。
- 春花
- いえいえ(笑)。
- 岩田
- 『カービィボウル』が発売されたのは
1994年9月でしたから、
まさに入社直後の仕事だったんですね。
- 春花
- そうですね。そのあと、
『ヨッシーアイランド』(※6)のイラストを描いたりして
アートワークの仕事にかかわっていたんですけど、
スーパーファミコンからN64に移行していく時期に
次第にゲームづくりのお手伝いをするようになって、
『マリオ64』の開発がはじまってから
フィールドデザインにかかわったという流れです。
- 岩田
- 『マリオ64』のフィールドデザインには、
たくさんの人が助っ人にかり出されましたからね。
- 春花
- はい。宮永さんもそうでしたね。
- 宮永
- はい。
小田部羊一さん=日本を代表するアニメーション作家。人気アニメ『アルプスの少女ハイジ』などを制作したのちに任天堂に入社し、マリオのキャラクターデザインなどの仕事に携わる。現在フリーとして活躍中。
『カービィボウル』=1994年9月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。発売当時、岩田は開発元のハル研究所の社長をつとめていた。
『ヨッシーアイランド』=『スーパーマリオ ヨッシーアイランド』。1995年8月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
- 岩田
- 春花さんが『時のオカリナ』で
キャラクターのデザインを担当することになって、
自分がつくらなきゃいけないものは
最初から見えていましたか?
- 春花
- と、おっしゃいますと?
- 岩田
- 前回の“同窓会”によると、
みんな、ゴールがまったく見えずに
一途に走っていたという感じがしたものですから。
- 春花
- そこは、若さゆえ、と言いましょうか(笑)。
- 岩田
- ムービーを担当した河越(巧)さんも
「みんな若かった」と同じことを言っていました。
- 春花
- 当時はみんな、脇目もふらずに
突進していた記憶しかないんです。
- 宮永
- そうでしたね。
- 春花
- それに、毎日のように、
新しいことができるようになったり
どんどん新しいものが動いたりしていましたので、
毎日会社に来て仕事をするのが、楽しくてたまらなかったんです。
- 岩田
- 当時はまだ新しかったNINTENDO64から、
見たこともないような絵が次々と出てくるので
毎日が新鮮だったんですね。
- 春花
- そうなんです。
ですから、先ほど岩田さんがお話しされたように、
「ゴールがまったく見えずに」というよりも、
「ゴールのことはまったく考えずに」、
ただひたすら、無邪気に絵を描いていた感じです。
- 滝澤
- そう、無邪気に仕事してましたよね。
- 春花
- それくらい毎日が楽しかったんです。