『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』
オリジナルスタッフ 篇 その2
5. フィールドをつくる
- 岩田
- あと、森田さんの仕事では
剣で看板が切れるようにしましたよね。
森田さん、なぜそれができるようにしたんですか?
- 森田
- いえ、あれは宮本さんなんです、言い出したのは。
- 岩田
- あ、そうなんですか。
また宮本さんがふらりと来て
言い残して帰っていったんですか? - 森田
- ええ。「やっぱり看板は切れるよね?」という感じで(笑)。
- 宮永
- 剣を斜めに振り下ろすと、
看板もちゃんと斜めに切れるようになっていますけど、
いろんな切れ方をするようにしたのは? - 森田
- その設計をしたのは、たぶん僕です。
「6Pチーズみたいな感じに」と思って・・・。 - 岩田
- 6Pチーズですか(笑)。
- 青沼
- しかも、看板は切れるだけでなく、
切れはしが池に浮かぶようになっていますけど、
それをやったのも森田さんでしょ?
- 森田
- そうです、僕です。
- 青沼
- さすが、水辺に強い森田さん(笑)。
- 一同
- (笑)
- 岩田
- あれ、笑いましたよね、初めて見たとき(笑)。
- 春花
- 僕たちは、夜中にそれを見たんですけど、
宮本さんがボソッと言ったんです。
「これ、すごいな・・・」と。 - 岩田
- 「これが『ゼルダ』や!」と言ったんですよね。
- 春花
- 一見、何でもないようなことなんですけど、
水に浮いて、スーッと動くところまで
こだわってつくっているところに、
宮本さんはすごく感動していました。 - 森田
- ああ、それはうれしいです・・・。
で、切れはしが水に浮くようにつくってみたら、
わざわざ看板を水辺に立ててくれて・・・。 - 岩田
- ああ、水に浮くのを見てほしいから、
看板の位置をわざわざ変えたんですか。 - 宮永
- そうなんです。
- 岩田
- とはいえ、もともとの看板の機能とは
何の関係もないんですけど(笑)。 - 青沼
- はい、関係ないです。
だって看板を切ってしまったら、
書かれてる文字はまったく読めなくなりますから(笑)。 - 一同
- (笑)
- 青沼
- ですから、いったん外に出るか、
「ゼルダの子守歌」をオカリナで演奏して
看板を修復できるようにしたんです。 - 岩田
- 切った看板を元通りにするための仕様も
追加で入れたんですね。 - 青沼
- そうなんです。
開発が大詰めですごく忙しいときだったんですけど、
「面白いからやろう!」って言って(笑)。 - 岩田
- さて、宮永さんをはじめ地形担当のみなさんは、
そうやって、水辺に看板を立てたり、
「釣り堀」のような特殊な地形を
つくったりするのも仕事のうちだったんですね。 - 宮永
- はい。
- 岩田
- 宮永さんは『時のオカリナ』のチームに入る前は
どんな仕事をしていたんですか? - 宮永
- 入社直後はドット絵などを描いていたんですけど、
1年目の後半から、『マリオ64』にかかわるようになりました。 - 岩田
- 春花さんと同じように、
フィールドデザインの助っ人として呼ばれたんですね。 - 宮永
- そうなんです。
そのとき、初めてポリゴンを触ったんですが、
自分がつくったものができていく楽しさが
その仕事にはあって、
そのあとの『マリオカート64』(※8)でも
開発の後半からプロジェクトチームに入って、
コースをつくったりしていました。 - 岩田
- で、『マリオカート64』が終わってから
『時のオカリナ』のチームに入ったんですね。 - 宮永
- そうです。
『マリオカート64』=1996年12月に、NINTENDO64用ソフトとして発売されたアクションレースゲーム。
- 岩田
- 『時のオカリナ』のときは、
どんなふうに地形をつくっていったんですか? - 宮永
- ハッキリとは覚えていないんですけど、
僕がこのプロジェクトに参加したときは、
街なかのステージができていて、
何もない街をリンクが歩いていたんです。
そこで、みんなで話し合いながら、
「この世界をどうしようか?」ということから
はじめたと記憶しています。
- 岩田
- まだ、実験段階だったんですね。
- 宮永
- そうです。
で、よく覚えているのが
「村がほしいね」という話になって、
デスマウンテンのふもとに
カカリコ村をつくることになったんです。
そこでまず、僕が粗いスケッチを描いて、
「もしこのような住人がいたら
きっとこんな家に住んでるよね」とか、
「仮にこのような家をつくったら
こんな住人が住むはずだよね」みたいに、
キャラクター担当の春花さんや
シナリオの大澤さんたちといっしょに話し合いながら、
村の世界をふくらませるようなことをしていました。 - 岩田
- つまり最初から、村の設計図があるのではなく、
いろんな人たちがアイデアを出し合いながら
少しずつ住人や家が増えていって、
最終的に村ができあがるんですね。 - 宮永
- そんな感じです。
- 岩田
- ハイラル平原も
宮永さんの担当という話でしたが、
あのように広大な世界にしたのは
馬を走らせるためだったわけですよね。 - 宮永
- そうです。
ですから、最初にあの平原をつくったときは
いろいろ言われたりしたんです。
「こんなに広くしてどうするの?」みたいに(笑)。
馬で走れるとはいっても、
ただ広いだけでは退屈な場所になってしまいますので、
何かを置かなきゃいけなかったんです。
そこで、いろんな人の手が入るようになって、
たとえば敵が出てくるようにしたり
平原のあちこちに穴を開けたりしました。 - 青沼
- なので、実際に平原のなかを探しまわって
何もないところを見つけては、
ひとつずつ、つぶすようなこともしていましたよね。 - 宮永
- 「このへんはちょっと寂しいから
穴を開けて、何かを入れよう」みたいな感じで(笑)。 - 岩田
- つまり、宮永さんは
ハイラル平原という土台をつくり、
そこに、いろんな人のアイデアが集まってきて、
最終的にあのような空間ができあがったわけですね。 - 宮永
- そうです。
それはカカリコ村のつくり方と同じです。 - 滝澤
- 『ゼルダ』のものづくりというのは、
もともと完璧な設計図があるんじゃなくて、
ある土台を元に、みんなでキャッチボールをしながら
かぶせ合いするようなことが基本だったような気がします。
- 春花
- そうですよね。
つねにみんなとしゃべりながら、
ネタをかぶせ合って、ものをつくっていましたし。
たとえばディレクターに対しても
「決めてください」というのではなく、
“いっしょに決めにかかる”みたいな感じでした。 - 岩田
- つまり、指示をする人と
指示される人の構造ではなかったんですね。 - 春花
- そうなんです。立場やキャリアに関係なく、
「こっちのほうがいいと思います」とか、
自然とみんなで言い合えた現場でした。
その傾向は、とくに開発の終盤に顕著になりました。 - 宮永
- 終いには「そこは僕がやります」とか。
- 春花
- そう、気がついたことは
それぞれが勝手にやっていたんですよね。 - 岩田
- そもそも、この『時のオカリナ』は
発売が何度も延期になったプロジェクトでしたよね。 - 青沼
- はい。
- 岩田
- 一般的に言って、発売が延期になって
開発の締め切り日が延びたときは、
苦しい日々がまだ先に続くことになるので
現場の空気が、どよ~んとするじゃないですか。 - 滝澤
- ・・・でも、そういった空気は、
このプロジェクトではまったくありませんでした。 - 青沼
- なんででしょうね?
- 滝澤
- むしろ「バンザイ!」みたいな。
- 岩田
- えっ? バンザイ、ですか?(笑)
- 滝澤
- はい。「あそこをまだ直せるぞ!」とか。
- 春花
- 「あそこをもっと磨けるぞ!」とか。
- 宮永
- 「何もなかったあそこに穴を開けられるぞ!」とか。
- 青沼
- ふつう「延びた! バンザイ!」みたいなことは
ありえないですけど、あのときは
「ここでやめておけ」と言っても、確かに
「えっ? どうしてですか!?」とか返される感じでしたね(笑)。 - 滝澤
- 「あそこが気になっていたけど、
それを直す時間ができたぞ」みたいなことしか、
当時は考えなかったんです。
発売が延期になり、お待ちいただいていたお客さんには
すごく申し訳なかったんですけど、
現場にいた僕たちはすごく喜んだのを覚えています。