2. 「月の石」のトラウマ
- 岩田
- 高橋さんがつくるものの世界観には、
SF的な要素がたくさん詰め込まれていますけど、
その素養はいつごろ培(つちか)われたんですか? - 高橋
- 最初の記憶に残っているのは、
幼稚園に入る前のちっちゃいころに
『キャプテンウルトラ』(※7)や『ウルトラセブン』(※8)などを
テレビにしがみついて夢中で見ていたことです。
ああいった番組をSFと言っていいのかどうか、
僕はよくわからないんですけど・・・。
『キャプテンウルトラ』=東映製作の特撮テレビ番組。『ウルトラQ』、『ウルトラマン』に続くTBS「ウルトラシリーズ第3弾」として、1967年4月16日から同年9月24日まで、毎週日曜日に全24話が放送された。
『ウルトラセブン』=円谷プロダクション製作の特撮テレビ番組。TBS「ウルトラシリーズ第4弾」として、1967年10月1日から1968年9月8日まで、毎週日曜日に全49話が放送された。
- 岩田
- SF(サイエンス・フィクション)は
「空想科学」とも訳されますし、
『ウルトラセブン』も「空想特撮シリーズ」でしたから、
やっぱりSFでしょう。 - 高橋
- とにかく、ちっちゃいころから
そんな空想特撮ものが大好きで、
自分の原点はそこにあるかなと思います。 - 岩田
- もしかして『サンダーバード』(※9)も
見ていませんでしたか?
『サンダーバード』=1965年にイギリスで製作され、日本では1966年4月からNHKで放送された人形劇による特撮テレビ番組。
- 高橋
- もちろん見ていました。
- 岩田
- わたしのルーツは『サンダーバード』なんです。
幼稚園児のころでしたけど(笑)。 - 高橋
- (笑)。そのあとは、『スタートレック』(※10)や
『スター・ウォーズ』も大好きでした。
その当時、僕は静岡に住んでいましたので、
映画館に行くと一日中・・・。
『スタートレック』=『宇宙大作戦』というタイトルで放映されたSFテレビドラマシリーズ。アメリカで製作され、日本では1969年4月から放送された。のちに、劇場用映画としても製作されている。
- 岩田
- 昔の映画館は、いまのように
入れ替え制(※11)ではなかったんですよね。
入れ替え制=現在は、映画が終わるごとに入場者を入れ替える「入れ替え制」が導入されているが、かつては、一度入場すれば一日中、放映館内にいることができた。
- 高橋
- ええ。地方の映画館でしたから、
1日に何回も見ることができて、
しかも2本の映画を見ることができたんです。
『スタートレック』と『スター・ウォーズ』が
同時にかかったこともあって、
そんなときは一日中、映画館にいました。 - 岩田
- そのようなSFものの
どこに惹かれたんでしょうね、高橋少年は。 - 高橋
- 僕はもともと機械いじりが好きだったんです。
だから、機械の描写をするようになって
宇宙船やロケットなどの絵を描いたりして・・・
・・・ああ、いま思い出しました。
どうしてロケットが好きなのかなと考えたんですけど、
これはトラウマでした。
4歳のころ、大阪の万博(※12)に行ったんです。
大阪の万博=日本万国博覧会。1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会。「人類の進歩と調和」をテーマに世界77か国が参加し、さまざまな国際館や企業館が建設され、当時史上最大の規模となる国家イベントとなった。
- 岩田
- 1970年に開かれた万国博覧会ですね。
- 高橋
- 僕は「月の石」(※13)がすごく見たくって、
どうしてもアメリカ館に行きたかったんです。
ところが、岩田さんはご存じだと思いますけど、
ものすごい人だかりで・・・。
「月の石」=アメリカのアポロ計画で、1969年に月面からアポロ12号が持ち帰った石。万博のアメリカ館に展示され、この「月の石」を見るために数時間待ちの行列ができるなどして大変混雑した。なお、アメリカ館では、アポロ8号の司令船の実物も展示されていた。
- 岩田
- アメリカ館は最も長い行列ができた
パビリオンでしたよね。 - 高橋
- はい。そのアメリカ館の前で、うちの親父がキレたんです。
「これじゃあ、何時間待っても入れない」って。 - 岩田
- (笑)
- 高橋
- で、「ほかのところを回ろう」と言い出して、
行列のないパビリオンばかり入りまして・・・。 - 岩田
- 行列がないというのは
人気があまりないということでもあるんですよね。 - 高橋
- だから、どのパビリオンに入ったのか
まったく記憶にないんですけど(笑)。
- 岩田
- あははは(笑)。
- 高橋
- 僕としては、アメリカ館とロボット館(※14)に
ぜひ行ってみたかったんですが、両方とも行けなくて・・・
それってやっぱりトラウマですかね(笑)。
ロボット館=フジパンロボット館。万博に出展されたパビリオンのひとつ。手塚治虫氏(日本を代表する漫画・アニメーション作家 故人)によってプロデュースされ、注目を集めた。
- 岩田
- それはトラウマでしょう。
45年も前に起こった
悔しい出来事を覚えているくらいですから(笑)。 - 高橋
- ちっちゃいころのトラウマといえば、
もうひとつありまして・・・。
どうしても欲しかったロボットのおもちゃがあったのですが
それを親父に買ってもらえなくて、
大泣きしながら帰ったこともありました。
そのくらいロボットも大好きでしたね。 - 岩田
- ロボットが大好きということは、
やはり『ガンダム』(※15)などにもハマったんですか?
『ガンダム』=『機動戦士ガンダム』。日本サンライズ製作のロボットアニメ番組。1979年4月7日から1980年1月26日まで 全43話で放送され、その後、劇場用アニメや新たなテレビアニメシリーズが製作されている。
- 高橋
- もちろんハマりました。うちの息子からは
「ガンオタ」と呼ばれてるくらいですから(笑)。 - 岩田
- 「ガンダムおたく」なんですね(笑)。
- 高橋
- そうなんです。
- 岩田
- つまり、「月の石」を見られなかったり、
ロボットのおもちゃを買ってもらえなかったことが
トラウマになるほどの悔しさにつながり、
それが、のちに高橋さんがSF世界に没入していく
原動力になったのかもしれませんね。 - 高橋
- そうですね。逆に言うと、もし、あのとき
アメリカ館に入ることができたら、
ちょっと違う人生を歩んでいたかもしれません。
ですので、そういうトラウマ経験もあって
『ガンダム』に限らず、
SF好きの少年が通る道は、
ひととおり通ったかなとは思っています。 - 岩田
- そもそもSFって、
設定の矛盾とかもいっぱいあって
ツッコミどころが満載ですし、
そういうことを語りはじめると
またおもしろくなるんですよね。 - 高橋
- そうなんです。
たしか中学生のころだったと思いますけど、
『スターログ』(※16)とか、SF雑誌があったじゃないですか。
そういう専門誌を読んでは、理論武装をして、
それなりにお話を考えたりとか、
自分なりに表現するようなこともはじめていました。
『スターログ』=スターログ・グループにより発行されたアメリカの月刊SF映画雑誌。『スターログ日本版』は、1978年8月から1987年2月にわたって、全100号が出版されている。
- 岩田
- たくさんインプットして、自分のなかにたまったものを
どんどんアウトプットするようになったんですね。 - 高橋
- はい。
- 岩田
- ちなみに、先ほど
「機械いじりが好きだった」ということでしたが
具体的にはどんなことをしてたんですか? - 高橋
- 家電製品なんかを分解していました。
もちろん岩田さんもやってましたよね? - 岩田
- わたしも好きでしたよ、当然(笑)。
- 高橋
- ただ僕の場合、家のステレオを分解したりとか、
テレビを分解したりとか、
かなり危険なことをやってたんです(笑)。 - 岩田
- テレビは内部に高電圧が掛かっているところがあって、
危ないですからね(笑)。 - 高橋
- 家に大きくて豪華なステレオがあったんですけど、
それをばらしたあと、もとに戻らなくなりまして(笑)。
そのときは親父にすごく怒られました。 - 岩田
- そのときも、お父さんはキレたんですか?
- 高橋
- はい。たしか、逆さづりにされた記憶があります。
押し入れの中で(笑)。 - 岩田
- あははは(笑)。
それはいくつくらいのときですか? - 高橋
- 幼稚園くらいだったでしょうか・・・。
- 岩田
- 幼稚園、ですか?
幼稚園児でステレオを分解するというのは、
かなり早熟かもしれませんね(笑)。 - 高橋
- とにかく、ねじを見ると、
はずしたくなる子どもだったんです。
中がどうなってるのか、すごく興味があったんですね。 - 岩田
- 電子回路の工作とかはしましたか?
- 高橋
- 電子回路と言っていいのかわからないですけど、
なんとかブロックという名前の・・・。 - 岩田
- 「電子ブロック」(※17)ですね。
「電子ブロック」=学習研究社(現・学研ホールディングス)がかつて発売していた、電子実験をする玩具。トランジスタや抵抗などが組み込まれたブロックを組み合わせることでさまざまな回路をつくることができ、遊びながら電子回路の基礎を学ぶことができた。
- 高橋
- ええ、電子ブロックです。あれはよく遊びましたね。
- 岩田
- 電子ブロックはとても高かったので
わたしは買ってもらえなかったんですけどね(笑)。
それにしても、高橋さんとわたしは、ちょっと歳が違いますが、
共通の体験をいっぱいしてますね。 - 高橋
- そうですね。
- 岩田
- まさか万博の話が出るとは思いませんでしたし(笑)。
- 高橋
- はい(笑)。
- 岩田
- でも、高橋さんの「月の石」じゃないですけど、
万博で未来に触れたという経験をすることで
そののちの人生を変えてる人は
けっこういると思うんです。
- 高橋
- けっこういますよね。
昭和30年代、40年代生まれの世代には
とくにそんな人が多いと思います。 - 岩田
- わたしは30年代生まれで、
高橋さんは40年代生まれですけど、
子どものころの嗜好がすごく似ているものの、
わたしの場合は、コンピューターのプログラムの道に入って、
札幌に住んでいた高校生のときに、
プログラム電卓(※18)を触りながら
ゲームをつくるようなことをしていたことが、
のちに、ビデオゲームへのかかわりに
とても役に立ったわけですが・・・。
プログラム電卓=コンピューターのようにプログラムが格納でき、プログラム制御によって複雑な計算を自動化して行うことができる電卓。
- 高橋
- はい。
- 岩田
- 一方、高橋さんの場合は、
たくさんのSF作品に触れることで
物語を考えたり、絵を描いたり、という方向につながり、
それが、のちのビデオゲームの世界で表現するときに
とても役に立ったということなんですね。 - 高橋
- そう思います。