3. 背水の陣
- 岩田
- 高橋さんは最初に
「JRPGのマスターピースをつくりたい」
という話をしましたけど、それを実現させるために、
どんなことを考えたんですか? - 高橋
- JRPGの構造をおおざっぱに言いますと、
まず、ストーリーとしてのタテ軸があり、
ゲームシステムや遊びとしてのヨコ軸があって、
そのバランスがうまくとれてることが
すごく大事だと思っているんです。 - 岩田
- ストーリー部分とゲームシステムの部分の
どちらか一方に偏ってはダメだということですね。 - 高橋
- そうなんです。
で、僕たちがモノリスソフトをつくる前は
スクウェア(※19)さんで働いていまして・・・。
スクウェア=現・株式会社スクウェア・エニックス。1986年に設立されたスクウェアは、2003年4月1日にエニックスと合併し、現在の株式会社スクウェア・エニックスとなった。
- 岩田
- スクウェア・エニックスになる前の
スクウェアさんですね。 - 高橋
- はい。僕が入ったときは、
ちょうど『ファイナルファンタジーIII』(※20)が終わったあとで、
そのあとの『IV・V・VI』(※21)の3作に
かかわることになったんです。
もともと『ファイナルファンタジー』は、
遊びとしてのヨコ軸はありつつも
タテ軸のストーリーを、とくに大切につくられていた
タイトルだったと思うんです。
デバッグをしていても楽しかったですし、
マスターアップの日になると
必ず誰かひとりが通しプレイをやっていまして・・・。
『ファイナルファンタジーIII』=1990年4月に、スクウェア(現スクウェア・エニックス)からファミコン用ソフトとして発売された、『FF』シリーズ3作目。
『IV・V・VI』=『ファイナルファンタジーIV』(1991年7月)、『ファイナルファンタジーV』(1992年12月)、『ファイナルファンタジーVI』(1994年4月)。3作ともにスクウェア(現スクウェア・エニックス)からスーパーファミコン用ソフトとして発売された、『FF』シリーズ4~6作目。
- 岩田
- それが『FF』チームの伝統だったんですね。
- 高橋
- そうです。その通しプレイを
坂口(博信)さん(※22)や僕らが後ろから見ていて、
無事に最後までクリアすると、
みんなで「やったー!」と歓声をあげたりして、
そういったことがすごく楽しかったんです。
坂口博信さん=『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親。2001年に独立し、ゲーム開発会社・ミストウォーカーを設立。
- 岩田
- はい。
- 高橋
- でも、その後は次第に・・・
これは自分の反省でもあるんですけど、
ゲームとしての遊びのヨコ軸よりも
タテ軸としてのストーリー部分を
どんどん突出させてしまった印象があって・・・。 - 岩田
- ああ、JRPGのバランスが
崩れてしまっていく印象を持たれたんですね。 - 高橋
- はい。だから、『ゼノブレイド』をつくるときに、
タテ軸とヨコ軸のいいバランスはどこだろう、
ということを、これまでの経験から導き出して
構成するようなことを、まず最初にやりました。
- 岩田
- ですから、ストーリーとしてのタテ軸だけでなく
ヨコ軸の遊びの部分もしっかり充実させたからこそ、
あの豊かさにつながったんでしょうね。 - 高橋
- そう思っています。
- 岩田
- でも、そのような方向性を見いだしても
いろいろと試練はあったんでしょうね。 - 高橋
- 試練というよりは、背水の陣に近かったと思います。
- 岩田
- 背水の陣・・・それはどうしてですか?
- 高橋
- バンダイナムコさんになる前の
ナムコ(※23)さんに出資していただいて、
1999年に、モノリスソフトをつくり
最初に手がけたのが『ゼノサーガ』(※24)だったんです。
ところが、組織づくりをしながらの開発でしたので、
人がぜんぜん集まらなかったんです。
プログラマーもプランナーも
とにかく新人ばかりの会社で・・・。
『ゼノブレイド』や『ゼノブレイドクロス』(※25)では
ディレクターをやっている小島(幸)(※26)も
新卒で入ってきたくらいですから。
ナムコ=現・株式会社バンダイナムコゲームス。1955年に設立されたナムコは、2006年に株式会社バンダイとゲーム部門を統合し、現在の株式会社バンダイナムコゲームスとして再スタートを切った。
『ゼノサーガ』=『ゼノサーガ エピソードI [力への意志]』。2002年2月に、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)から発売されたRPG。
『ゼノブレイドクロス』=『XenobladeX(ゼノブレイドクロス)』。2015年4月29日にWii U用ソフトとして発売が予定されている、高橋哲哉さんが手がける最新作RPG。
小島幸さん=モノリスソフト開発部所属。ニンテンドー ゲームキューブ用ソフト『バテン・カイトスII 始まりの翼と神々の嗣子』(2006年2月発売)でシナリオ・クエストプランニングディレクターを担当し、『ゼノブレイド』ではディレクターを担当。過去、社長が訊く『ゼノブレイド』開発スタッフ 篇に登場。
- 岩田
- あの小島さんも新人だったんですね。
- 高橋
- そうなんです。で、恥ずかしい話なんですが、
グラフィックエンジンができあがったのが、
マスターアップの半年前という
スケジュールだったんです。 - 岩田
- それはすさまじいですね。
- 高橋
- ですから、ちょっと言い訳になりますけど、
そのように経験のないメンバーばかりで
『ゼノサーガ』をつくっていましたので、
「自分たちの理想のゲームをつくるには、
まだ難しいかもしれない。」
という気持ちが当時の僕のなかにあったんです。 - 岩田
- ええ。
- 高橋
- ただ、そんなチーム編成でも
優秀なグラフィックスタッフが何人かいたんです。
そこで、「イベント的なものをメインに見せるしかない」
と考えて、あのようなゲームデザインにしました。 - 岩田
- そのチームの強み・弱みに合わせた
ゲームデザインにしたんですね。 - 高橋
- そうです。
で、『ゼノサーガ』を3作(※27)出しましたけど、
あまりいい評価をいただけなかったんです。
それが本当に悔しくて・・・
その気持ちはリーダークラスだけでなく、
若いメンバーも共通認識として持っていましたので、
「次こそお客さんに喜んでもらえるものをつくらねば」と。
そういう意味では、『ゼノブレイド』の開発の空気も、
それまでとはずいぶん違ったものになっていました。
『ゼノサーガ』を3作=2002年から06年にかけて発売されたRPGシリーズ(三部作)。『ゼノサーガ エピソードI [力への意志]』(2002年発売)、『ゼノサーガ エピソードII [善悪の彼岸]』(2004年発売)、『ゼノサーガ エピソードIII [ツァラトゥストラはかく語りき]』(2006年発売)。
- 岩田
- 言い訳ができない状況になったんですね。
- 高橋
- はい。もう逃げられない状態です。
ですから『ゼノブレイド』の開発には
背水の陣で立ち向かいました。 - 岩田
- でも、そのように大きな逆境を経験することは、
次の成功への大きなバネにもなるんですよね。
ぜんぜんゲームのジャンルが違うんですけど、
『どうぶつの森』(※28)にも似たようなことがあったんです。
『どうぶつの森』=第1作は、NINTENDO64用ソフトとして2001年4月に発売されたコミュニケーションゲーム。その後、ニンテンドー ゲームキューブでは2本、ニンテンドーDS、Wii、ニンテンドー3DSでそれぞれ1本ずつ制作され、シリーズは6作を重ねている。
- 高橋
- 『どうぶつの森』にですか?
- 岩田
- ええ。『どうぶつの森』のDS版(※29)は
世の中でものすごく評価されたんですけど、
そのあとに出したWii版(※30)は、
結果的にお客さまの期待に100パーセント応えられた
とは言えない面があったんです。
で、Wii版にかかわった人たちは
ものすごく悩みまして、その悔しさをバネにして、
3DS版の『どうぶつの森』(※31)に結実させたんです。
そのときの中心人物のひとりは、
この春に発売予定の『スプラトゥーン』(※32)の
プロデューサーを担当しているんですけどね。
『どうぶつの森』のDS版=『おいでよ どうぶつの森』。ニンテンドーDS用ソフトとして、2005年11月に発売。
Wii版=『街へいこうよ どうぶつの森』。Wii用ソフトとして、2008年11月に発売。
3DS版の『どうぶつの森』=『とびだせ どうぶつの森』。ニンテンドー3DS用ソフトとして、2012年11月に発売。
『スプラトゥーン』=2015年5月発売予定のWii U用ソフト。本作のプロデューサーを担当する野上恒は、『どうぶつの森』第1作から『街へいこうよ どうぶつの森』(Wii)まで、シリーズのディレクターを担当した。『どうぶつの森』についてくわしくは、公式サイトを参照。
- 高橋
- ああ、そうだったんですね。
- 岩田
- だから、「ものはつくって終わり」、ではなくて、
じつは全部つながっている気が、わたしはしているんです。
すなわち、Wii版の『どうぶつの森』も、
普通にほめてもらえるつくりだったとしたら、
『スプラトゥーン』は生まれていたのか、
3DS版の『どうぶつの森』は
あそこまで突き抜けたものになったのか・・・と。
たぶん違ったものになったように思うんです。 - 高橋
- そうでしょうね。
- 岩田
- でも、商品を出す以上は、
つねにお客さまの期待に100パーセント応えきって、
120パーセント応えたいという思いでつくっています。
その真剣さについては、少しの揺らぎもないんですけど、
わたしたちが「これでどうですか」と、
自信をもって出しても
「自分たちが求めていたのはこれじゃない」
と言われることもあるわけですよね。 - 高橋
- そうですね。
- 岩田
- そんなとき、「何が足りなかったのか」、
「どれだけのことを積み上げきれなかったのか」、
といった課題を、お客さんから
教えていただくようなこともあると思うんですよね。
ですから、『ゼノブレイド』が生まれるうえで、
その前の『ゼノサーガ』の3作が、
万全の体制でつくれたのではなかった、ということが、
逆に大きなパワーになったということなんですね。 - 高橋
- まったくそのとおりです。
でも、『ゼノブレイド』をつくったときは、
モノリスソフトも設立から10年経ちまして、
メンバーも育ってきていましたので・・・。 - 岩田
- 設立時は新人だった小島さんも
ディレクションができるようになったわけですからね。 - 高橋
- ええ。だから、このメンバーだったら、
タテ軸とヨコ軸のバランスのとれたものが
きっとできるに違いないと、確信していました。 - 岩田
- まさに、組織として機が熟したときに
『ゼノブレイド』をつくったんですね。 - 高橋
- はい。