4. 「いいからやってくれ」
- 岩田
- そうやってつくられた『ゼノブレイド』は
とても自由度が高いゲームになりましたよね。 - 高橋
- 人それぞれが楽しめるように、
選択肢を増やすというつくりかたをしたのが、
功を奏したのかなと思います。 - 岩田
- でも「自由度が高い」ということは、
一方で、お客さんが「何をしていいかわからない」とか、
「お客さんが迷ってしまう」ということと裏腹なんですよね。 - 高橋
- はい。
- 岩田
- そのバランスは、なぜうまくとれたんでしょうか。
- 高橋
- フィールドに関して言いますと、
いちばん貢献したのが、モノリスソフトのマップ班です。
そのデザインセンスによるところが大きいと思います。 - 岩田
- ただ魅力的なフィールドをつくるのではなく、
そこに“機能”がちゃんと組み込めている
デザインをしてるんでしょうね。 - 高橋
- そうですね。
たとえば、ストーリー上は、
あるポイントに行かなきゃいけないと。
でも、移動している最中に、
ちょっと寄り道をしたくなるような場所を
入れ込んでくれるのがすごくうまかったんです。 - 岩田
- ああ、なるほど。そうすることによって、
移動することが作業ではなくって、
自分で選んだ道に変わるんですね。 - 高橋
- そうですね。で、寄り道のあとに
「ああ、そういえば、あれをやらなきゃ」
というときに、そのポイントに戻るのが
それほど面倒ではないようなつくりにしてくれたので、
そこはとてもうまくいったと思います。 - 岩田
- そのようにマップをうまくつくれたのは
どうしてなんでしょう? - 高橋
- 過去を振り返りますと、
モノリスソフトの母体になったのは、スクウェア時代の
『ゼノギアス』(※33)のチームだったんですね。
初代プレイステーション(※34)の時代のことで、
当時はマップを3Dにしたゲームというのは
まだひとつもなかったんです。
『ゼノギアス』=1998年2月にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売されたRPG。
初代プレイステーション=1994年12月に、ソニー・コンピュータエンタテインメントから発売された家庭用ゲーム機。
- 岩田
- はい。
- 高橋
- で、当時のスペックだと、
キャラクターを3Dにするか、
マップを3Dにするかという二者択一だったんです。 - 岩田
- ハードの性能上
どっちかしか選べなかったんですね。 - 高橋
- そうなんです。
そこで、3Dのキャラクターを選んだのが、
『ファイナルファンタジー』シリーズで、
同時期に『ゼノギアス』をつくっていた僕たちは、
3Dのマップを選ぶことにしました。 - 岩田
- なるほど。
- 高橋
- で、本根(康之)(※35)がリーダーになってくれて、
マップ部分に特化して開発をしたのですが、
そのときからはじめたことが、いまのモノリスソフトにも
脈々と引き継がれているという感じです。
本根康之さん=モノリスソフト取締役。スクウェア(現・スクウェア・エニックス)時代に、スーパーファミコン用ソフトとして発売された『クロノ・トリガー』(1995年)の開発にかかわる。同社を退職後にモノリスソフトに移籍し、『バテン・カイトス』シリーズ(ニンテンドー ゲームキューブ)などを開発。モノリスソフトでは、アートディレクターとしてさまざまなタイトルにかかわりながら、『ゼノブレイド』ではコンセプトアートを制作している。
- 岩田
- そういう意味では、
3Dゲームの黎明期から3Dでマップをつくりはじめ、
その世界で人を楽しませるということに対する
経験の長い人がチームに何人もいたからこそ、
『ゼノブレイド』であの品質のものをつくるうえで、
すごく貢献したということなんですね。 - 高橋
- そうですね。
やっぱりスクウェア時代から
いっしょに仕事をしてきた仲間も多いですし、
彼らと、長い間ずっと積み上げてきたものは、
ものづくりをするうえで、すごく大きいと思います。 - 岩田
- 「3Dでマップを考えてきた年季が違いますよ」
ということなんですね。 - 高橋
- はい(笑)。
- 岩田
- やっぱりたくさんの場数を踏んで、
その世界を極めることは、
すごく大事なポイントですからね。 - 高橋
- そうですね。
- 岩田
- その意味で、高橋さんご自身も
かなりの場数を踏んで、
そうとうなキャリアを積んでこられましたよね。 - 高橋
- そうですね。
僕はRPGをつくりはじめて
かれこれ25年以上になるんですけど・・・。 - 岩田
- RPG一筋の開発者人生なんですね。
- 高橋
- ほぼ、ですけど(笑)。
- 岩田
- 高橋さんが最初にかかわったのは、
どんなタイトルだったんですか? - 高橋
- まず、日本ファルコム(※36)に入社しまして、
『スタートレーダー』(※37)の完成後に、
『イースIII』(※38)のモンスターグラフィックスを
手伝ったのがRPGづくりのはじまりになります。
日本ファルコム=日本ファルコム株式会社。ゲームソフトを開発・販売する日本の企業。『ザナドゥ』『ソーサリアン』などで代表される『ドラゴンスレイヤー』シリーズや『イース』シリーズ、『英雄伝説』シリーズなどがある。1981年創業。本社は東京・立川市。
『スタートレーダー』=日本ファルコムが1989年にPC用に発売したシューティングゲーム。
『イースIII』=『イースIII WANDERERS FROM Ys』。日本ファルコムが1989年7月にPC用に発売したアクションロールプレイングゲーム。
- 岩田
- 日本ファルコムさんは当時、
PC向けのRPGをつくっていたんですよね。 - 高橋
- はい。そのあとにスクウェアに入社して、
先ほども言いましたように
『ファイナルファンタジー』シリーズの
3作を手がけました。 - 岩田
- かつて、スクウェアさんで働いていたときと
いまとでは、ものづくりのやりかたが
だいぶ違うアプローチになっているんですか? - 高橋
- そこは違いますね。
たぶん伝えかたが違うんだと思います。
それこそ昔は、「いいからやれ」の
一辺倒でしたから。 - 岩田
- 昔の高橋哲哉さんを
知っている人たちから聞いたお話だと、
「背中でやりかたを教えてくれるけど、
厳しくて恐い先輩だった」
という印象がおありのようで(笑)。 - 高橋
- ああ、そうですか・・・(苦笑)。
あのう、僕自身、ちゃんと教わったことがないんです。
日本ファルコム時代の木屋(善夫)(※39)さんや
橋本(昌哉)(※40)さん、
スクウェア時代の坂口さんにしてもそうですけど、
背中を見ながら「こうすればいいのか」みたいな感じで・・・。
だから、仕事のやりかたを盗むしかなかったんです。
木屋善夫さん=日本ファルコム在籍時に、『ザナドゥ』『ソーサリアン』などの『ドラゴンスレイヤー』シリーズを手がけた、ゲームクリエーター。
橋本昌哉さん=日本ファルコム在籍時に『イース』シリーズを手がけ、その後1989年に株式会社クインテットを設立。スーパーファミコン用ソフト『アクトレイザー』などを手がける。
- 岩田
- まるで職人の世界ですね。
- 高橋
- まさに職人の世界で育ちました。
でも、何も教えてくれなくても
そのときに学んだことはすごく大きかったと思います。
その結果「何をつくればいいのか」ということを
じっくり考えて、自分で出した結論が
『ゼノブレイド』だったんだと思っています。 - 岩田
- だから、高橋さんご自身の機が熟し、
モノリスソフトさんという組織自体も
長い時間をかけて熟してきて
その結果、生まれたのが『ゼノブレイド』なんですよね。
- 高橋
- はい。
- 岩田
- でも、組織に対する考えかたは
いまも昔も変わらないんですか? - 高橋
- 20年前だったら、
野球にたとえると、
「強いピッチャーがひとりいて、
打たせなければ勝てるだろう」
的な考えかただったんです。 - 岩田
- なるほど。
- 高橋
- でも、最近は「全員野球」をめざしています。
みんなが得意としているものを、寄せ集めて、
ひとつの形にするということを最近はやっていまして、
それはモノリスソフトにとっていちばん適したつくりかたかな、
ということが、この15年、モノリスソフトでやってきて、
僕のなかで出た結論なんです。 - 岩田
- まあ、剛速球のピッチャーひとりでは、
あのように大きなスケールの
『ゼノブレイド』はつくれませんよね(笑)。 - 高橋
- たしかにそうですね(笑)。