『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇
第11回:『BIOHAZARD REVELATIONS』
1. ホラーへの原点回帰
- 岩田
- 今日はニンテンドー3DSソフト
『BIOHAZARD REVELATIONS』を
手がけたカプコン(※1)のみなさんに
お越しいただきました。
ご足労いただきありがとうございます。
カプコン=株式会社カプコン。大阪に本社を置くゲームメーカー。
- 川田
- こちらこそ、こんな大人数で
押し掛けてしまってすみません(笑)。 - 岩田
- いえいえ、ありがとうございます。
それぞれ立場の違う方からお話をうかがったほうが、
このソフトのことが立体的にお伝えできて
お客さんに楽しんでもらえると思いますので、
今日はよろしくお願いします。 - 一同
- よろしくお願いします。
- 岩田
- では最初に簡単な自己紹介と、
みなさんがご担当されたことを
お話ししてもらいたいと思います。
川田さんとは以前、社長が訊く『ニンテンドー3DS』
ソフトメーカークリエーター篇のときに
お目にかかっていますので2回目ですね。 - 川田
- はい。今回の『リベレーションズ』の
プロデューサーを担当しております、川田将央です。
となりは、僕のアシスタントプロデューサー
というかたちでチームについて動いてもらっています、竹中です。
- 竹中
- 竹中司といいます、よろしくお願いします。
僕は『ロックマン エグゼ』シリーズ(※2)を担当しておりまして、
『ロックマン エグゼ5DS』(※3)のディレクターなどを務めました。
その後『バイオハザード5』(※4)では、
中西と企画マンをやっていました。
『ロックマン エグゼ』シリーズ=1作目『バトルネットワーク ロックマン エグゼ』は、2001年3月、ゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されたデータアクションRPGシリーズ。
『ロックマン エグゼ5DS』=『ロックマン エグゼ5DS ツインリーダーズ』。2005年7月、DS用ソフトとして発売されたデータアクションRPGソフト。
『バイオハザード5』=2009年3月に発売されたサバイバルホラーゲーム。
- 岩田
- カプコンさんでは、社内で企画を担当する方を
“企画マン”と呼んでおられますよね。 - 中西
- そうなんです。
でも、改めて考えてみると、
なんで“マン”なんですかね?(笑) - 川田
- デザイナーは“キャラマン”とも言いますし、
プログラマーは“ソフトマン”と呼んでいますね。
男女関係ない呼び名ですね。
で、そのとなりは・・・って、
わたしがこのまま全員紹介してもいいですか?(笑) - 中西
- じゃあ引き継ぎまして(笑)、
『リベレーションズ』のディレクターを担当した中西晃史です。
僕はカプコンはそれほど長くなくて、じつはまだ4年なんですが、
『バイオハザード5』の途中から企画マンとしてかかわっています。
- 川田
- 今回のプロジェクトの長は僕なんですが、
みんな業界歴は15~16年と、
ほぼ変わらないんです。
続いての堀は、違う業界から来たんですけど、
それでも10年戦士になります。 - 堀
- はい、堀嘉純です。
今回アートディレクターとして参加しました。
入社以来、ほぼ『バイオハザード』シリーズをつくっていまして、
ずっと川田の下で、しごかれながらやっています(笑)。
- 川田
- いつもやさしく接していますよ(笑)。
で、いちばん端が、サウンド担当の鈴木です。 - 鈴木
- はい、鈴木幸太と申します。
業界歴は現在9年目です。
最近では『バイオハザード』シリーズの担当が多いんですけど、
僕はコンポーザーといって音楽を主に担当しています。
『バイオハザード5』や『マーセナリーズ』(※5)などを担当して、
今回も同様に音楽全般の取りまとめ役をしています。
『マーセナリーズ』=『バイオハザード ザ・マーセナリーズ 3D』。2011年6月2日、ニンテンドー3DS用ソフトとして発売されたサバイバルアクションゲーム。
- 岩田
- はい、ありがとうございます。
ではまず、カプコンさんは3DSのソフトで
『マーセナリーズ』と『リベレーションズ』という
ふたつの『バイオハザード』をつくってこられましたが、
どういうキッカケで企画が立ち上がったんでしょうか?
お話しいただくのは誰が適任になりますか?
- 川田
- ではわたしから話をさせていただきます(笑)。
わたしがこのプロジェクトに参加したのは
2010年のE3(※6)のちょっと前くらいからでしたね。
裸眼で立体視ができるスペックを持ったハードが発売されると聞いて、
単に携帯型に落としただけの『バイオハザード』ではなくて、
“本気の『バイオハザード』”をつくりたい、
という目標を打ち立てました。
もうひとつ、フルモデルチェンジを行った
『バイオハザード4』(※7)以降の
ナンバリングタイトルとは違う、
ホラーへの原点回帰を掲げました。
3Dとの相性もよいのではという確信もあったので、
本当に怖い『バイオハザード』を生み出すべく、
チーム編成を行いました。
E3=Electronic Entertainment Expo(エレクトロニック エンターテインメント エキスポ)の略で、米国のロサンゼルスで開催されるコンピューターゲーム関連の見本市のこと。
『バイオハザード4』=2005年1月、ニンテンドーゲームキューブ用ソフトとして発売されたサバイバルホラーゲーム。
- 岩田
- 長く続いているフランチャイズは
どんなものでもそうですが、
途中で大胆な変化を取り入れているんですよね。
だから『4』で大きく変えたことには
本当に大きな意味があると思うんですが、
一方で、『バイオハザード』シリーズ初期にやっていたことは
本当に怖いホラー路線だったということですね。 - 川田
- そうです。じつはいまだに、
ゲームキューブの『バイオハザード』(※8)が
最高峰だと言われる方も多いんです。
だから今回は“怖い”ところでみなさんに
楽しんでもらえる内容にしたいと考えました。
当然、いままで培ってきたノウハウを活かして
エンターテインメントとして楽しめる
ボリューミーな内容にもしたい、という話をしました。
『バイオハザード』=『biohazard』。2002年3月、ゲームキューブ用ソフトとして発売されたサバイバルホラーゲーム。このソフトが、ゲームキューブでは最初のシリーズタイトルとなる。
- 竹中
- 最初のE3のデモは、どちらかというと
3DSというハードでどこまでできるかを見てもらう、
コンセプトトレーラーっていう感じのイメージで、
「我々はこのレベルでゲームをつくります!」といった、
世間に対するお約束みたいなものでした。 - 岩田
- お客さんと表現の品質を先に約束してしまって、
いわば“自分たちの尻を叩く”状態にしたんですね。 - 竹中
- そうです。
ハードルを自分たちで設定してしまったわけです(笑)。
- 中西
- ただ、それで実際に見えてきたスペックがあって、
とくに3Dの持つ臨場感は
ホラーっていう“バイオ空間”とすごくハマったので、
「この方向でいこう」とE3後に決まっていったんです。 - 川田
- でも、あのころはまだ3DSそのものを
十分に触れていなかったので、
立体視の部分があまりうまくいってなかったんです。
今回そういう反省もあって、
展示の機会があるたびに試遊版を出展して、
できるだけ多くの人に触ってもらって
その時点で出た不満点をできるだけ解消していきました。 - 中西
- 今回、それが非常に役立ちました。
- 岩田
- お客さんに体験いただく機会を
アピールの場だけじゃなくて、
体験していただく方々とのキャッチボールの場にしたんですね?
ゲーム機って不思議で、いろいろいじっていると
性能を引き出す方法がどんどん見つかっていきますよね。
あるチームがゲームをつくるとき、
1回目より2回目、2回目より3回目のほうが、
絵づくりからゲームそのものを変えられるんですよね。 - 川田
- そうです。
じつは当初、やろうと思っていたものよりも、
さらに一段上のものがつくれるんじゃないかと思って、
「まずは『マーセナリーズ』をつくらないか?」
って話をしました。