『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇
第12回:『鉄拳3D プライムエディション』
2. 地方遠征、道場破り!
- 岩田
- 池田さんのビデオゲームとのかかわりは
どんな感じでしたか? - 池田
- はい、本作プロデューサーの池田幸平です。
僕がビデオゲームと出会ったのは小学1年生ぐらいで、
『スーパーマリオブラザーズ』(※6)が発売されて、
だだをこねて親に買ってもらいました。
でも、二股のVHFの変換器がなくて、
自分で買いにいって、つないだのを覚えています。
『スーパーマリオブラザーズ』=1985年9月、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
- 岩田
- 小学1年生で、そこまでやったんですか?
- 池田
- はい。ちょっと手伝ってもらいましたけど、
古いテレビにつながった瞬間、
「おおおお!」って盛り上がったのを覚えています。
自分で動かすマリオが画面の中にいることが衝撃でした。 - 岩田
- 手元で触っているものがテレビの中で動く、というのは
あの時代の多くの人がはじめて体験したことですからね。 - 池田
- はい。それがゲーム好きになったキッカケで、
近所の友だちと競うようになって、
思いどおりにキャラが動くようになるのが
とにかく楽しかったんです。
また、小6のとき、友だちに誘われて
デパートのゲームコーナーに
『ストリートファイターII』(※7)をやりに行ったんです。
そこで向かい合って対戦するのがすごく新しくて。
『ストリートファイターII』=1991年、アーケードゲームに登場した、株式会社カプコンの対戦型格闘ゲーム。
- 岩田
- 見ず知らずの人同士が対戦する感じが独特でしたよね。
- 池田
- はい。プレイしている人のまわりを
腕組みしながら囲んで見ていました。
勝てばつづけられるから、当然強くなりたかったですし、
ゲームを通じて知らない人とコミュニケーションしている
感覚がすごく新しかったんです。
- 岩田
- 勝った人が残って、
負けた人が入れ替わるルールは
自然発生的に生まれてきた気がしますね。 - 池田
- そうですね。
中学生になってゲームセンターに行くようになると、
ゲームセンターという空間自体が最先端の
新しいものを体験できる本当にワクワクした場所でした。
本格的に格闘ゲームにはまったのは
『バーチャファイター2』(※8)が出たころで、
僕はまだ中学生でしたけど、けっこう練習していたので
20代~40代の大人の方たちと対戦しても勝てたんです。
『バーチャファイター2』=1994年、アーケードゲームに登場した、株式会社セガの対戦型格闘ゲーム。
- 岩田
- ゲームの中で、中学生が大人を倒しちゃうわけですね。
- 池田
- そうです。
それでだんだん顔見知りになって、
ご飯を食べにいったり、話を聞いたりして
どんどん楽しくなって・・・。
そのうち「もっと強い奴らがいるかもしれないから、
地方へ行ってみようぜ!」という話になり、
週末には大人たちと車で遠征していました。 - 岩田
- すごいですね・・・! 地方遠征ですか(笑)。
- 池田
- はい。その体験がいまの自分のもとになっていて、
知らない人とつながれることが本当に新鮮でした。
あと、強い奴が来るという情報を仕入れて、
「じゃあ、いついつにゲームセンター集合な!」
みたいに、待ち受けるんです(笑)。 - 岩田
- おお、果たし合いか、道場破りの世界ですね!
- 池田
- 30連敗ぐらいしたんですけどね(笑)。
でもその後、
「こうするともっと強くなるよ」とか、
「これが面白いからやってみな」とか話してくれて、
直接コミュニケーションできたんです。
そういったところが格闘ゲームの魅力ですし、
ゲームセンターはいい場所だなと思って、
その表現に何らかの形でかかわりたいと思いました。 - 岩田
- 地方遠征に、道場破り・・・。
まさに格闘ゲームとともにある青春ですね。
- 原田
- 中学校のときにああいうゲームがあるのは、
刺激的すぎて我慢できないですよね。 - 池田
- そう、我慢できませんでした(笑)。
高校卒業後は、
ゲームも3DCGが中心になる時代がくるということで、
3DCGのモーションを勉強するために
ゲームの専門学校に行ったんですが、
当時も『バーチャファイター』シリーズにはまっていて、
町田に有名なゲームセンターがあったので、
そこに家を借りました。 - 岩田
- え? ゲームセンターが町田にあったから、
下宿先をそこに決めたんですか? - 池田
- そうです(笑)。
親には言いませんでしたけど。 - 岩田
- 人生の優先度ナンバーワンが
格闘ゲームだったんですね(笑)。 - 池田
- そこは有名なゲームセンターだったので
いろんな人が来て、毎日楽しくて仕方なかったんです。
専門学校卒業後は、学生時代にエンターブレイン(※9)で
『鉄拳』のコンボ(※10)を収録するバイトをしたことがキッカケで、
当時の編集の方に誘われてそのまま就職しました。
そこで『ファミ通WaveDVD』(※11)という
DVDつきの雑誌で6年ほど、ディレクターとして
企画と映像のディレクションをやってました。
エンターブレイン=株式会社エンターブレイン。東京都千代田区に本社を構える。
コンボ=対戦型格闘ゲームにおける「連続技」のこと。『鉄拳』シリーズでは、ボタンを順番に押していくことで最大10発まで連続技を出すことができるコンビネーションがある。
『ファミ通WaveDVD』=『月刊ファミ通WaveDVD』。1998年~2011年まで株式会社エンターブレインから発行されていた、DVDつきの月刊ゲーム雑誌。
- 岩田
- ゲームは、映像次第で魅力の伝わり方が段違いですからね。
- 池田
- はい。遊んでいる人にどう面白く伝えるか、
という視点でやっていたので、
その経験はいまに活かされていると思います。 - 岩田
- 『ファミ通Wave』の時代に、
原田さんとお会いすることもあったんですか? - 池田
- はい。じつは取材したことがあります。
あと、僕は『鉄拳』が大好きでしたので、
サイコロで出た目の数だけ進みながら
山手線沿線のゲームセンターに2時間だけ挑んで、
1日に100勝できるかを競う
「鉄拳100人斬り」っていう企画をやりながら、
『鉄拳』の面白さを伝えていました。
- 岩田
- 偶然、その場に居合わせた方たちが
相手になるんですか? - 池田
- はい。ガチでゲームセンターに行ってやりました。
- 原田
- その映像、すごく面白い内容で、
開発のみんなでゲラゲラ笑いながら見てましたね。 - 池田
- あとでその話を聞いて、すごくうれしかったです。
- 岩田
- 先ほどの遠征の話にしても、
果たし合いの話にしても、
ものすごく人間ドラマにあふれていますよね。
おふたりともそろって遊ぶのが大好きで、
「これを理解してくれる仲間を探したい!」
というのが根っこの動機なんですね。
おふたりとも・・・そっくりですね(笑)。
- 池田
- 確かに、聞いていると、
けっこう被ることが多いですね。 - 岩田
- それで池田さんが最終的に、『鉄拳』チームと
ご縁ができたキッカケはなんですか? - 池田
- 『鉄拳5』(※12)のDVDをつくるにあたって、
日本の有名なプレイヤーと韓国のプレイヤーを
戦わせる企画があったんです。
それで韓国のゲームセンターに出かけたんですが、
韓国人の代表者3人と日本人の代表者3人に、
韓国のギャラリーが60名以上という
完全アウェーの中で撮影をしたんです。
『鉄拳5』=2004年11月にアーケードゲームに登場し、2005年3月には家庭用ソフトとしても発売された対戦型格闘ゲーム。
- 岩田
- 敵の陣地に攻め込んじゃった感じですね。
- 池田
- そうですね。
サッカーや野球の日韓戦の雰囲気と同じで、
試合中はすごくピリピリした空気だったのを覚えています。
でも試合終了後は、すごく親しみを感じてもらえて
いっしょにご飯にいったり、
ゲームセンターで『鉄拳』の対戦をしたりしました。
言葉は通じないんですけど、
格闘ゲームってスポーツみたいに
ワールドワイドで通じ合えるんだなぁ、と
そのとき思いました。
ちょうどそんな折、ナムコで『鉄拳』プロジェクトの
中途採用を募集していたので応募したんです。
いままでの企画も韓国遠征も、
すべては『鉄拳』と“縁”があったのかな、と感じました。