『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇
第16回:『真・三國無双 VS』
1. 家紋がご縁で
- 岩田
- 今日は『真・三國無双』シリーズ(※1)の最新作、
ニンテンドー3DS用ソフト
『真・三國無双 VS』のお話ということで、
株式会社コーエーテクモゲームスの
小笠原さんにお越しいただきました。
よろしくお願いいたします。 - 小笠原
- よろしくお願いいたします。
『真・三國無双』シリーズ=『真・三國無双』と冠し、複数の敵と戦う3Dアクションゲームシリーズ。1作目は2000年8月に発売。
- 岩田
- 今日はもちろん、『真・三國無双 VS』の
お話もお訊きしたいのですが、
ゲーム開発の経験がある
わたしが訊き手をさせていただくので、
まず最初に、小笠原さんとビデオゲームとの出会いから
お訊きしようと思います。
そもそも小笠原さんがビデオゲームと
接点ができたキッカケは何でしたか? - 小笠原
- おそらく、
わたしの年代の多くは同じだと思いますが、
小学校に入ったころ『インベーダー』(※2)ブームがありました。
そこでビデオゲームと出会ったんですが・・・。
『インベーダー』=『スペースインベーダー』。1978年に登場したアーケードゲーム。
- 岩田
- でも小学生ですから、
100円玉を入れて遊ぶゲームとなると、
じっくり遊ぶチャンスはなかなかこないですよね。 - 小笠原
- そうなんです。
ですから本格的にゲームをやりはじめたのは、
ファミリーコンピュータからだったと思います。 - 岩田
- その頃とくに夢中になったゲームソフトはありますか?
- 小笠原
- 『ベースボール』(※3)です。
じつは、わたしはずっと野球をやっていたので、
もっとも自分にとって身近な野球がゲームで、
しかも対戦できるところが新鮮でした。
『ベースボール』=1983年12月に発売された、ファミコン用スポーツゲーム。
- 岩田
- 小笠原さんは
実際に野球少年だったんですか? - 小笠原
- はい。小学校から高校卒業にいたるまで、
ずーっと、野球少年でした。
その期間は野球部が忙しかったので、
ゲームとのかかわりはそんなに深くはありませんでした。
でも、練習が早く終わる雨の日は
みんなで遊んだり・・・ゲームはものすごく好きでした。 - 岩田
- ゲームは興味の対象ではあったけれども、
もっと優先度の高い野球があったので、
その欲望がなかなか満たされなかったんですね。
- 小笠原
- そうです。だから
「いつになったらゲームができるんだろう?」って
ずーっと思っていて、ようやくその機会がきたのが
大学に入ってからでした。 - 岩田
- 大学のご専門は何でしたか?
- 小笠原
- 専門は化学系で、
ゲームとは関係のない方面でした。 - 岩田
- ああ、化学ですか。
化学に興味をもったキッカケは何かあったんですか? - 小笠原
- あ、いえ・・・じつは受験勉強で得意だった、
くらいの選択の仕方でした(笑)。
それよりわたしは昔から非常に歴史が好きでしたので、
大学のときにはよく歴史の本を読んだり、
バイクに乗って合戦場に行ったり、
城に行ったりしていました。 - 岩田
- 各地の歴史を探索する旅でもあるわけですね。
歴史はなぜ好きだったんですか? - 小笠原
- 大きなキッカケがあるわけじゃないんですけど、
小学生のころ、日曜の8時になると、
必ず大河ドラマを観る親だったので、
わたしも一緒に『徳川家康』(※4)とかを観ていたんです。
その時間、大体の小学生は
違う番組を観ていたと思いますが・・・。 - 岩田
- 月曜に学校に行くと、
友だちと話が合わないわけですね(笑)。
『徳川家康』=1983年1月9日から12月18日にかけて放送された大河ドラマ21作目。
- 小笠原
- そうでした(笑)。
それから中学校のとき、
革細工に家紋を彫る美術の授業があって、
うちの家紋を調べたら、
武田家と同じ“四菱”だったんです。
それで「武田信玄ってどういう人だろう?」と興味をもって、
新田次郎さん(※5)の『武田信玄』を読んでみたら、
「なんておもしろいんだろう、歴史小説は・・・!」
となってしまって、それ以来、
ずーっと歴史が好きなんです。
新田次郎さん=日本の小説家。代表作に『武田信玄』『強力伝』など。
- 岩田
- それでは中高時代、
野球少年であると同時に、
歴史が大好きだったんですね。 - 小笠原
- そうです。
- 岩田
- 野球少年で歴史が好き、
そして大学の専攻は化学・・・。
興味の対象がマルチですし、
いろんな面をご存知なので、
あらゆるところで役立っているんじゃないですか?
野球をすることでスポーツの世界、
集団の独特さ、上下関係などを学びますよね。
歴史でいえば、バラバラだったものが
頭の中でつながっていくおもしろさ、
みたいなものがありますよね。 - 小笠原
- ええ、まさにそうでした。
「あれもやりたい」「これもやりたい」っていう感じで・・・。
でも共通して言えるのは、
「人ってどう考えてどう動くんだろう?」
ってところがおもしろかったのかもしれません。
- 岩田
- ああ、たしかに共通していますね。
- 小笠原
- 広く言えば“人とのコミュニケーション”について、
非常に興味が強かったのかなと思います。
昔、ゲームセンターで『マリオブラザーズ』(※6)を
2人プレイで対戦していたあのころから、
“ゲーム=人と強くコミュニケートできるもの”
って思っていたのかもしれません。
『マリオブラザーズ』=1983年に登場した任天堂のアーケードゲーム。
- 岩田
- そこで全部くっついて、
野球も歴史小説もゲームも
“人と向き合うことのおもしろさがある”
と感じたんですね。 - 小笠原
- はい、それで中学1~2年くらいの時期に、
「ゲームってものすごくおもしろいんだ」って
根っこの部分が生まれたんだと思います。 - 岩田
- じゃあ大学に入ったあとは、
ビデオゲームにガッと入り込んでいくんですか? - 小笠原
- 入っていきましたねぇ・・・。
大学受験が終わったその日にゲームソフトを買って、
そこから「解禁だーっ!」って感じで(笑)。 - 一同
- (笑)
- 小笠原
- それから先ほどお話しした歴史にも没頭していたので、
“「なんて歴史っておもしろいんだ!」っていう過ごし方+ゲーム”
という生活だったものですから、
そこで必然のように出会ったのが
『信長の野望』(※7)というわけです。
『信長の野望』=1983年4月に、株式会社 光栄マイコンシステム(現コーエーテクモゲームス)からパソコン用ソフトとして発売された、日本の戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲーム。
- 岩田
- うーん・・・運命に吸い寄せられるように、
コーエーさんのところに行きますね(笑)。
『信長の野望』を知ったときは、
心躍りましたでしょう? - 小笠原
- そうですね!
友だちの家のパソコンに『信長の野望』が入っていて、
麻雀の順番を待ちながらやっていたんですけど、
すごい衝撃を受けました。
おまけに歴史好きだったこともあって・・・。 - 岩田
- 感情移入度が、半端ないわけですよね。
- 小笠原
- そうなんです。
しかも家紋が武田家でしたから、
「武田家大好き!」になっていて(笑)。 - 岩田
- 家紋がご縁で、武田家びいきだったんですね(笑)。
- 小笠原
- 織田信長や徳川家康、豊臣秀吉なんかは
メジャーなだけに、他方から見たら
悪い面もあるという描き方をされがちなんですけど、
武田信玄は本などでも、あまり悪い面を描かれないんです。
だから「なんてすごいんだ、武田信玄は!」って
素直に思って育ってしまって・・・。 - 岩田
- わたしも山梨に10年住んでいたことがあって、
地元の方がどれだけ武田信玄を誇りに思い、
大事にしておられるかっていうのは目の当たりにしています。 - 小笠原
- さらにこれも運命というか、
武田信玄はゲーム内のパラメーターが
非常に高いんですよ(笑)。 - 岩田
- ゲーム的に有利なんですね(笑)。
そこで武田信玄になりきって、
武田信玄ができなかった全国制覇の野望を
果たすゲームに出会ったわけですから・・・。 - 小笠原
- これはもう、振り返ってみると、運命ですよね。
- 一同
- (笑)