『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇
第24回:『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』
1. 制限から解き放たれて
- 岩田
- 今日は、ニンテンドー3DSで楽しめる
『ドラゴンクエストVII』のお話をお訊きします。
オリジナル版(※1)の発売が2000年ですから、
今年で13年経つわけですね。
オリジナル版=2000年8月にプレイステーション用ソフトとして発売された『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』。
- 藤本
- ゲームが発売されたのは8月だったので、
12年半ほど前になります。 - 堀井
- あの時は完成までに、
本当に時間がかかってしまいました。 - 眞島
- 「出ますように!」っていうCM(※2)から
出るまでに1年半かかっていますね。
「出ますように!」っていうCM=1999年の年始に放映された「今年こそ『ドラクエVII』が出ますように!」と発売を祈願するテレビCM。
- 岩田
- はい、あの宣伝はわたしも
すごく印象に残っています(笑)。 - 堀井
- あのときはじめて『ドラクエ』を
CD-ROMメディアでつくったんですけど、
「とにかく容量が多く入る」ということで
はりきって、つくりすぎちゃったんです。 - 岩田
- 制限から解き放たれた人たちが
やりたかったことを表現しようとしたのが、
『VII』の歴史なんですよね。 - 藤本
- スクウェア・エニックスに
歴代の『ドラクエ』の仕様書が保管されているんですけど、
『VII』はほかのナンバリングよりも圧倒的に多くて
「これ、ほとんど『VII』なんじゃない?」
というくらいの量があるんです。
しかも資料がぜんぶ、紙なんですよ。 - 堀井
- 『VII』までは、紙に手書きでシナリオを書いて、
データとかもすべて紙上でつくっていました。 - 岩田
- 時代を感じますね。
- 堀井
- ちょうどシナリオスタッフを増やした頃で
毎週、スタッフからこのくらいの
(人差し指と親指をいっぱいに広げて)
シナリオが送られてくるんです。
それを一言一句読んで、修正を延々やって・・・。
あの時は毎日つらかったなあ。 - 一同
- (笑)
- 藤本
- 1日に数百枚のFAXをやりとりするので、
機械がしょっちゅう故障したそうです。 - 岩田
- 紙で扱うには、もう手におえない量ですよね。
振り分ける作業だけでも大変そうです。 - 堀井
- 『VII』ではじめて、仲間と会話するシステムを
取り入れたんですけど、そのセリフの量がまた
とんでもないことになっちゃって。 - 杉村
- それまでのシリーズでは
仲間キャラクターと話せなくて、
誰もいない方向に「はなす」コマンドをつかうと
「その方向には誰もいない」と表示されていたんです。
それもちょっとさみしいので、
「そこを変えよう」と話をした覚えがあります。 - 堀井
- 物語的に仲間になるキャラクターも、
仲間になる前はいろいろ話せたのに、仲間になった途端
そのキャラと話せなくなるのは寂しかったので
仲間セリフシステムを入れました。
でもそれが、とんでもない量になってしまって(笑)。 - 岩田
- そんなふうに
「できるんだからやろう」と
次々とやっていったら、
爆発的な作業量になったわけですね。 - 堀井
- そうなんです。
でも、あの仲間と話せるシステムは
当時のお客さんに、けっこうよろこんでもらえたと思います。
話したとき、ボロクソ言われたほうがおもしろいだろうと
マリベル(※3)は、かなりツンデレな性格にしました。
あの当時は、ツンデレという言葉もなかったですが(笑)。
マリベル=主人公の幼なじみの女の子。パーティの仲間となってともに戦う。
- 岩田
- ・・・あの、すみません。
もう本題がはじまってしまいました(笑)。 - 一同
- (笑)
- 岩田
- では自己紹介をお願いします。
まず、あらためてご紹介するまでもありませんね。
『ドラクエ』の生みの親である、堀井雄二さん。 - 堀井
- はい。よろしくお願いします。
- 藤本
- 今回『ドラゴンクエストVII』の
プロデューサーを務めます
スクウェア・エニックスの藤本です。
- 岩田
- 藤本さんはオリジナル版のとき
何を担当されていたんですか? - 藤本
- 発売された時は、まだ大学4年生でした。
- 岩田
- あっ、まだ遊ぶ側だったんですね。
- 藤本
- はい。ゲームを遊んでいた友達同士で
「××の石版(※4)はどこにある!?」って聞き合って、
あの当時でクリアまで120時間くらい遊びました。
石版=ふしぎな石版。地図の柄が描かれた石版のかけらで、『ドラクエVII』ではこの石版をイベントや戦闘を通じ集めると行ける場所が増え、物語が進んでいく。
- 堀井
- いや~、本当に長くつくりすぎてしまいました。
そのせいで発売もかなり延びてしまって・・・。 - 藤本
- 本当はたぶん、わたしが就職活動中に
ゲームが発売されていたはずだったんです。
でも結局、当時のエニックス(※5)から
内定をもらったあとにゲームが発売されたので、
そのぶん気楽にじっくりと楽しめました。
当時のエニックス=2003年に当時のスクウェア社と合併し、現スクウェア・エニックスとなる。
- 岩田
- 『ドラクエ』にあこがれ、
これからつくる側になろうという時、
ワクワクしながら楽しまれたわけですね。 - 眞島
- アルテピアッツァ(※6)の眞島です。
アートディレクターを担当しています。
オリジナル版は初の3Dポリゴンということで
やり尽くせなかったこともたくさんあり、
今回リベンジという意味もこめてやっています。
アルテピアッツァ=1989年設立のゲーム開発会社。『ドラクエ』シリーズは『VII』のオリジナル版のほかにもリメイクを多く手がけている。
- 岩田
- リベンジということは、
12年半前のオリジナル版と今回の3DS版、
両方にかかわられているんですか? - 眞島
- はい。自分で一度つくったものなので、
「昔ほど苦労しないかな」と思っていたんですが
高い山はやっぱり、高い山のままで・・・。
つくり手としても歯ごたえがありますね。 - 杉村
- アルテピアッツァの杉村です。
わたしは大学在学中に『ドラクエIII』(※7)を遊んでいて、
その時ゲーム雑誌でたまたま見かけた
「堀井雄二の秘書募集」という記事への応募が、
この業界に入ったきっかけです。
『ドラクエIII』=『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』。1988年2月、ファミコン用ソフトとして発売。
- 岩田
- 業界に入るきっかけが、
堀井さんからだったんですね。 - 杉村
- はい。それで『ドラクエIV』(※8)から
シナリオのアシスタントとして参加したんですけど、
その後エニックスの千田さん(※9)に勧められ、
眞島と一緒にアルテピアッツァを立ち上げました。
『ドラクエIV』=『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』。1990年2月にファミコン用ソフトとして発売。
エニックスの千田さん=現スクウェア・エニックス取締役の千田幸信さん。長年『ドラゴンクエスト』シリーズのプロデューサーを務めた。
- 岩田
- ああ、なるほど。
アルテピアッツァさんが『ドラクエ』と
長くかかわりを持たれていたのは知っていたんですが、
そういった成り立ちだったんですね。
会社をつくられたのはいつ頃なんですか? - 杉村
- 会社の設立としては1989年なんですが、
その頃はまだ眞島がひとりで、
パソコンと家庭用ゲーム機を並行して
つくっているような感じで、
いまのように会社として整えたのは
2000年頃だったと思います。 - 眞島
- 1989年頃はまだ、
画描きとプログラマーがひとりずついれば、
ゲームがつくれる時代だったんですね。
そこからチームを意識したゲームづくりに
変わっていったのは、杉村が合流して、
『VII』をつくるあたりだったと思います。 - 岩田
- 眞島さんは家庭用ゲーム機なるものが
まだ世になかった頃から、
ゲームづくりを体験されている世代ですよね。
堀井さんもパソコンゲームを
ひとりでつくるところからはじまっていますし、
わたしもハル研(※10)のアルバイト時代は
いわゆるパソコンゲームからはじまったんです。
ハル研=株式会社ハル研究所。『星のカービィ』シリーズや『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズなどを手がけてきたソフトメーカー。岩田は当初アルバイトのプログラマーとして参加し、のちに社長を務めた。
- 眞島
- 僕が当時エニックスさんの
パソコンゲームをつくっている時、
堀井さんが巨大な『III』のロム基板を持って、
打ち合わせをされていたのを、横から見ていたんですよ。
当時あのロムがすごくうらやましくて、
輝いて見えた記憶があります。
「大容量2メガ!」(※11)って、
当時としてはかなりの容量でしたから。
「大容量2メガ!」=2M(メガ)ビット。『スーパーマリオブラザーズ』が256K(キロ)ビットなので、当時のファミコンカセットの容量としては大容量。
- 岩田
- 一応補足すると
“2MB(メガバイト)”ではなくて、
“2Mbit(メガビット)”ですからね(笑)。 - 一同
- (笑)
- 岩田
- でも、それも『VII』でCD-ROMになると
単純に軽く1000倍以上の容量(※12)になるわけで、
規模感がまったくちがってきますよね。
軽く1000倍以上の容量=CD-ROMメディアの最大記憶容量は約650Mバイト。
- 眞島
- そうですね・・・。
- 岩田
- しかも『ドラゴンクエスト』というタイトルは、
堀井さんのこだわりがあるわけですから、
「それをどうやって隅々まで通わせるか」という
大きな壁にはじめてぶつかったのが、
『VII』だったんじゃないですか? - 堀井
- まあ、実際、大きすぎましたね。