『ニンテンドー3DS』ソフトメーカークリエーター 篇
第5回:『スーパーストリートファイターIV 3D EDITION』
3. “ヨーロッパ”じゃない
- 岩田
- 小野さんは入社後、まずどんなことをされましたか?
- 小野
- 若いうちは、まずはいろいろなお手伝いからはじめますので、
当時は職種としては誰がやると決まっていなかった、
さまざまなゲームのバグチェッカーを担当しました。
それと同時にみんなに重宝されていたのは、
FM音源(※12)をチューニングできることだったんです。
FM音源=電子音源。周波数を変調させて、少量のデータでさまざまな音色を出すために開発された技術。
- 岩田
- え?それは、かなり変わった才能ですね(笑)。
- 小野
- これ・・・「社長が訊く」で大丈夫ですか(笑)。
超マニアックな雑誌に載るような話ですが・・・。 - 岩田
- FM音源といえばパラメータの調整が超難しいと言われていたので、
それをいじれるということは、いわば、研磨した製品に指先で触れただけで
精度や磨かれ方がわかる、ある種の職人技のようなものですよね。 - 小野
- それは、褒められていますよね?(笑)
当時、音楽チームのみんなは音大や芸大出身が多くて、
工学部出身は僕だけだったんですよ。
それでX68000(※13)のチームに割り当てられて、
そこで『ストリートファイター』の楽曲を移植する作業を
ずーっとやっていました。
X68000=1987年、シャープが発売した16ビットパーソナルコンピューター。
- 岩田
- FM音源で出すための元の曲を
いちからつくる作業なので、けっこう大変だったでしょう? - 小野
- はい、大変でした・・・(笑)。
それが『ストリートファイター』との最初の接点で、
結果的に、それが社内で評価されたんですね。
で、次にやった仕事が別タイトルで、
メガドライブのFM音源への落し込みでした。
同時にアメリカにも出張させてもらえたんですよ。
若いうちに、はじめて海外のマーケットや状況を見せてもらえて、
すごいラッキーでした。 - 岩田
- それはいくつのときですか?
- 小野
- えーと、23、24くらいかな?
- 岩田
- おおー、入社2~3年目で、それは早いですねえ。
- 小野
- はじめて見たときは「衝撃!」って感じですね。
海外ではこう遊んでいて、こういうことが好きなんだ、と・・・。 - 岩田
- 小野さんは、言葉は大丈夫だったんですか?
- 小野
- あー、それがですねえ。当時、岡本吉起さん(※14)という、
ひらめきでどんどん動くタイプの方がおりまして、
その方との仕事で鍛えられました(笑)。
当時カプコンでアメコミライセンス系と仕事をするという課題で、
そのひとつとして『スポーン』(※15)というコミックと
やることになったんです。
で、岡本さんが僕に「マクファーレントイズ(※16)のところに行ってこい」と
言いまして、「僕、英語できませんけど?」って答えても、
「いやいやいや、何とかなるから」ということで、
結局、何度も数カ月単位で行かされることになりまして。
それで僕は・・・生命の危険を感じたんでしょうね。
自然と英語を勉強するようになりました(笑)。
岡本吉起さん=元カプコンのゲームプロデューサー。
『スポーン』=1992年にアメリカのイメージ・コミック社から出版された人気コミック。
マクファーレントイズ=『スポーン』の原作者が1994年に設立したトイメーカー。
- 岩田
- いわば、しゃべらざるを得ない環境に投げ込まれたんで、
英語をしゃべれるようになったんですね。 - 小野
- はい。これは岡本さんのおかげだなあと思っています。
それ以降、現地法人の方にもミーティングでダイレクトに
伝えられるようになったおかげで、いまの僕自身のつくり方を
うまくディレクションするベースができたなと思いますし。
要は、お客さんが求めているものが、本やレポートではなく、
ちゃんとトーンと温度を感じる生の声で
わかるところが大きかったと思います。
だからスタッフにも、「カタコトでいいからしゃべれ」と言っています。 - 岩田
- わたしも学生時代、英語は苦手だったんですが、
キッカケはハル研究所(※17)でのアメリカ出張でした。
海外の開発会社でつくっていたソフトが
年度内にできないと大変なことになるので、
「とにかく行って何とかしてきてくれ!」と言われまして、
でも、帰れる日程はわからなかったんですよ(笑)。
「自分が英語をしゃべって問題を解決しないと帰れない」となると
少しずつでもできるようになるんですよね。
ハル研究所=株式会社ハル研究所。『星のカービィ』や『スマブラ』シリーズなどを手掛けてきたソフトメーカー。かつて岩田が社長をつとめていた。
- 小野
- そうです、だって何とかクリアしないと帰れないわけですから(笑)。
でも本当にコミュニケーションはメールや資料だけでは
ダメだと、当時すごく思いました。
日本のゲーム屋さんの様子はわかっても、
じゃあ海外のゲーム屋さんではどうなのか、
それは現地のゲーム屋さんの店頭にいるお兄さんとかに
どれだけ聞き出せるかなんですよ。 - 岩田
- ゲーム専門店のお兄さんのオススメするゲームと
オススメしないゲームで、けっこう売れ方が変わるのに、
その差はなぜなのかは直接聞いてみないとわからないですからね。 - 小野
- そうです。そこから聞き出した答えと、クリエーターが
やりたいことが、いかにかみ合うかなんです。
企業側だけの自己満足で出すプロモーションではなく、
お店の先にいる人たちが求めている、
生の声を引っこ抜くことが大事なんです。 - 岩田
- 若いうちに乱暴に海外へ派遣されたことが、
自分の開発者としての幅を広げることに役立ったんですね。
- 小野
- 本当にそうですね。ヨーロッパってみんなよく言うんですが、
あそこは“ヨーロッパ”ってひとくくりじゃないんです。
無数の国と、無数の文化と、無数の人種が集まって
小さく町内会のように切り分けられているところだから、
この町内会とこの町内会は、趣旨も考え方も違うんです。 - 岩田
- イギリスとドイツとフランスという国のくくりだけでも違いますし。
- 小野
- 本当に、近くの国でも、いろいろと違うんです。
そこをひとつひとつ、聞いていかないといけない。
先ほど話題に出た“ゴールはいっしょでもどのルートでいくのか”
を考えるということは、“どういう人たちがお客さんなのか”
をまず考えていったほうがいいんです。
「ヨーロッパはこの方法だけ」なんて乱暴なことはダメなんです
ということをだいぶ言いつづけたおかげで、カプコン全体も
ようやくその視点を持つようになってきました。 - 岩田
- なるほど。
- 小野
- やはり、実際に海外を見て、
いろいろなことを感じないといけないと思います。
学生時代の旅行とは違う、働きだしてから企業人として
見えてくる世界があると思うんです。
それを咀嚼(そしゃく)してアウトプットするには、
やはり日本人は何回も海外に出て行かないといけない。
ひとつ、僕がすごく悔しいなと思ったことは、
稲船敬二さん(※18)の「海外を見るんだ」って言葉が
「日本を捨てているんだ」と取られたときがあって。
僕らは日本人なので、日本のお客さんのことは絶対に見えてるし、
当然考えないわけはないんです。
稲船敬二さん=『ロックマン』シリーズなどを手掛けた、元カプコンのゲームク
リエーター、キャラクターデザイナー。
- 岩田
- でもやはり、つくったものが日本だけで受け入れられるのか、
世界中で受け入れてもらえるのかで、結果はすごく違いますから。 - 小野
- そうです。だからカプコンに限らず、ゲームをつくる人は
とくに世界を見てほしいと、僕はいつも思っているんです。
僕は日本のクリエーターである以上、
日本人にはがんばってほしいし、
世界で立派に戦える戦士だと思っているので。
だからこそ海外をリサーチするチャンスをつかんで、
チャンスがないなら自分でつくっていくことによって
変わっていけるんじゃないかなあって思っています。
ざっくりヨーロッパ、ではなく、
ここもあるし、ここもあるね、という視点で考えていけば、
多分、そこからもっと深い構造が見えてくると思うんですよ。
そしたら男女の差も、子どもと大人の差も、お年寄りの人にも、
各々にケアするべきことが見えてくるかもしれない。
そしたらゲームづくりだけでなく、
プロモーションとかセールスでわかっていなかったことまで
ケアできるかもしれない。
そういうところまで、深く構造を見ていってほしいんです。
- 岩田
- 違う言い方をすれば、もし商品が100万個売れたら、
買ってもらった理由も100万通りあるはずなのに、
つい一通りしかないと考えがちなんです。
いろいろなお客さんをイメージできるほど、
文化や価値観が違うところにも
受け入れられるチャンスを増やせるんでしょうね。
あるいは逆に、「ここは全体で共通だな」という軸が見つかれば、
同じものを面白いと言ってもらえると思うんです。 - 小野
- そうですね。複数の玄関や間口を用意するんです。
でもその間口は決して自分たちの勝手な想像じゃダメで、
「ここの上はこういう層で、この国はこういうかたちだから」
っていう細かい視点でものをつくっていきたい。
クリエーターとして、そういうところを感じてほしい、
と思っています。