『ニンテンドー3DS』
3. 岩田聡、過去の取り組みについて話す。
- 岩田
- さて、それで、ふつうに考えると、
任天堂はバーチャルボーイを通じて
3D商品をつくる難しさ、伝える難しさを
絶対に思い知ってるはずなんですよ。 - 宮本
- そうですねぇ(笑)。
- 糸井
- トラウマになっててもおかしくないって
岩田さんはおっしゃってましたね。 - 岩田
- いや、ほんとにそう思うんですよ。
ところが、3D商品の難しさを思い知ったはずなのに、
任天堂はその後も、何度も何度も、
3Dにトライしているんです。
それは、このニンテンドー3DSの前にも。 - 糸井
- ぼくは知らないけど、そうなんだ(笑)。
- 宮本
- ふふふふ。
- 岩田
- 商品として表に出てないですけど。
- 糸井
- うーん、おもしろいねぇ!
- 岩田
- たとえば、ニンテンドー3DSで採用している、
「メガネを使わずに立体映像が見える」画面のサンプルは、
ゲームボーイアドバンスSP(※11)で動いてたんですよ。 ゲームボーイアドバンスSP=2003年2月発売の携帯ゲーム機。折りたたみ型で、ゲームボーイアドバンスの上位機種として発売。
- 糸井
- SP? SPっていうのは、
パタンと開くタイプのアドバンスですよね。
じゃあ、DSの前から、もう? - 岩田
- そうです、そうです。
裸眼で立体に見えるためには特別な液晶が必要なので
ゲームボーイアドバンスSPに立体液晶を
埋め込んでテストしてました。
ちなみに、そのときはまだ液晶の解像度が低かったこともあって
十分な魅力が出せなかったので、
商品化するまでには至らなかったんです。
メガネを使わずに立体映像を見せるためには、
右目に届ける絵と左目に届ける絵を別々に表示して
それぞれの目に届けなくてはいけないんですけど、
そのためには高い解像度と
精度の高い製造技術が要求されるんです。
当時はそこがまだ足りてなくて、
立体感が鮮明じゃなかったんです。 - 糸井
- なるほど。
- 岩田
- それから、もう少し古い話で、
ゲームキューブ(※12)って、
じつは3D対応の回路が入ってたんですよ。
ゲームキューブ=ニンテンドー ゲームキューブ。2001年9月発売の家庭用テレビゲーム機。
- 糸井
- ・・・え?
- 岩田
- ポテンシャルとして、
そういう機能を持っていたんです。 - 糸井
- ゲームキューブが?
世の中に出回ったキューブぜんぶが? - 岩田
- はい。周辺機器を整えれば、
3Dを表現できるように仕込んであったんです。 - 糸井
- ・・・すごい秘密だねぇ。
- 岩田
- ゲームキューブは2001年に発売された機械ですから、
ちょうど10年前のことですね。
そのころも、ずっと、
3Dのことを考えていたということです。 - 糸井
- ちなみにその機能は、なぜ世に出なかったんですか。
- 岩田
- そういうことができる液晶がまだまだ高かったんですよ。
簡単にいうと、ゲームキューブに、
専用の液晶ディスプレイをつけることによって
3Dの映像が表現できたんですけど、
その専用液晶が、当時はものすごく高かった。 - 糸井
- ああ、10年前ですもんね。
- 岩田
- もう、ゲームキューブ本体よりも
はるかに高い値段で売らないと成立しなかった。
ソフトはすでにできてたんですよ。
ゲームキューブ本体と同時発売だった
『ルイージマンション』(※13)。 - 糸井
- ルイージが掃除機かついでたやつ?
- 岩田
- そうです、そうです。
あれが3D対応になって動いてたんです。
『ルイージマンション』=ゲームキューブと同時に発売されたアクションアドベンチャーゲーム。2001年9月発売。
- 糸井
- あれが3Dだったんですか。
- 宮本
- けっこうきれいに飛び出してたんですよ。
- 岩田
- メガネなしでちゃんと立体に見えていたんです。
ところがそのために液晶にいくら出せるかっていうと、
当時はやっぱり高価すぎたんですね。
それで、まぁ、まだ市場はないだろうということで。 - 糸井
- そこでまた、いったんあきらめて。
はーーー。で、また、いまなんだ。
なるほどねー、ぜんぜん懲りてないねー。 - 岩田
- そうなんです。懲りてないんです(笑)。
- 宮本
- ははははは。
- 糸井
- きっと、いちばんしつこく
3Dを追いかけているのは、宮本さんですよね? - 岩田
- (笑)
- 宮本
- まあ、そうですね。
古いところでいうと、
もう、ファミコンのディスクのころに
ゴーグルをかけて遊ぶ3Dのゲームをつくってますから。
岩田さんとつくったやつですけど。 - 岩田
- そうそう(笑)、
宮本さんと私の最初の仕事は、
その、ゴーグルをかけて遊ぶ
ディスクシステム(※14)のレースゲームだったんですよ。 - 糸井
- へー、そうなんですか。
- 岩田
- 『3Dホットラリー』(※15)というゲームです。
ディスクシステム=1986年2月に発売されたファミコンの周辺機器。正式名称は「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」。メディアに磁気ディスクを採用し、ソフトを書き換えることができた。
『3Dホットラリー』=1988年4月発売の、ディスクシステム用レースゲーム。開発は株式会社ハル研究所。
- 宮本
- 経緯を説明すると、まず、岩田さんのいた
ハル研(※16)さんがつくったレースゲームがあったんです。
当時からハル研さんは技術力がありましたから、
もう、見たこともないような、
かなり大胆な起伏があるレースゲームを
つくってくださった。
ところが、これが・・・いまひとつおもしろくない。 - 岩田
- はい。
- 一同
- (笑)
- 宮本
- こんなにすごいけど、
このままでは売れへんよねっていうので、
かかわることになりまして。 - 岩田
- つまり、直してもらったんです(笑)。
ハル研=株式会社ハル研究所。『星のカービィ』や『スマブラ』シリーズなどを手がけてきたソフトメーカー。かつて岩田が社長をつとめていた。
- 宮本
- ふつうのレースゲームだったんですけど、
全体にラリーの仕組みにつくりかえて、
主人公をマリオにしたんです。
要するに、起伏の激しいコースを
マリオがバギーに乗ってばんばんラリーをしていく、
というゲームになった。 - 糸井
- なるほど。
- 宮本
- で、それを「飛び出すようにしよう」と。
右目で見る絵と、左目で見る絵をつくって・・・。 - 岩田
- 液晶シャッターのゴーグルを専用でつくってね。
- 宮本
- それがはじめて岩田さんと一緒にした仕事なんです。
- 岩田
- その前から、面識はあったんですけど、
べったり一緒につくったのは
『3Dホットラリー』がはじめてでした。 - 糸井
- そのタイトルは覚えてないんだよなぁ。
ふつうに売ってたんですよね? - 岩田
- 売ってましたよ。
- 宮本
- 『パルテナの鏡』(※17)のちょっと後ですよね。
- 岩田
- はい。
パルテナの鏡=『光神話 パルテナの鏡』。1986年12月発売のディスクシステム用アクションゲームソフト。現在、ニンテンドー3DS用ソフト『新・光神話 パルテナの鏡』が開発中となっている。
- 糸井
- うーん、やっぱりオレは
ゲームファンじゃなかったんだなぁ。 - 宮本
- 『カービィ』(※18)より前ですよね。
- 岩田
- 『カービィ』より前です。
『カービィ』=『星のカービィ』。ゲームボーイ用ソフトとして発売されたアクションゲーム。1992年4月発売。
- 糸井
- 『カービィ』のことなら、いろいろ覚えてますよ。
ぼくは、宮本さんが『カービィ』について
当時の山内社長に相談する現場に居合わせましたから。 - 宮本
- ああ、そうそう(笑)。
- 糸井
- その話はちょっと長くなるし、
楽しすぎるからちょっと置いといて・・・。 - 岩田
- (笑)