「スーパーマリオ25周年」
『スーパーマリオ』シリーズ開発経験者 篇 その1
# 4. 夜中にジェスチャー
- 岩田
- 木村さんは、紺野さんや江口さんの時代からちょっと遅れて
宮本さんのこだわりに接することになったんですよね。 - 木村
- はい。先ほどもお話ししたように、
わたしは『マリオアドバンス』シリーズの4作に関わりましたが、
DSの『Newスーパーマリオ』は『マリオアドバンス』シリーズでいうと、
個人的には『5』にあたるのかなと思っているんです。 - 岩田
- 『Newマリオ』が『マリオアドバンス5』ということですか?
- 木村
- はい。というのも『マリオアドバンス4』を出した後、
「『マリオアドバンス』シリーズの『5』は出ないの?」
という声をいただきまして、ちょうどタイミングよく
ニンテンドーDSが出ることになりましたので、
「つくるのなら新作を」と思ったんです。 - 岩田
- じゃあ、『マリオアドバンス』シリーズをつくらなかったら、
『Newスーパーマリオ』は発売されなかったかもしれない、
ということなんですね。 - 木村
- そうですね。
違うカタチで発売されたのかもしれません。 - 岩田
- ちなみに『マリオアドバンス』は
わたしが任天堂に来たばかりの頃に、
開発中のゲームボーイアドバンスのソフト一覧を見たら、
『マリオ』のゲームが1本もなかったので、
「宮本さん、『マリオ』もつくりましょうよ」
と言ったのがキッカケなんです。 - 木村
- あっ、そうなんですね。
確かに携帯ゲーム機のパッケージソフトで『マリオ』というと、
それまでは『マリオランド』(※23)のシリーズしかありませんでした。
それでDSの『Newスーパーマリオ』をつくって、
その直後にWii版の『Newスーパーマリオ』の開発に入ったんですけど、
しばらくしてから宮本さんがどっぷり入ってこられたんです。
『マリオランド』=『スーパーマリオランド』。1989年4月に、ゲームボーイ用ソフトとして発売されたアクションゲーム。その後、1992年にシリーズ2作目の『スーパーマリオランド2 6つの金貨』、1994年にシリーズ3作目の『スーパーマリオランド3 ワリオランド』が発売された。
- 岩田
- あのときは本当に長い期間のどっぷりでしたよね。
現場に入って、なかなか出てこられませんでしたから。
たぶん、わたしが社長になってから、
いちばん長かったんじゃないでしょうか。 - 木村
- そうなんです。ですので、チームとして
会社には迷惑をかけたのかなと(笑)。 - 岩田
- まあ、結果が出たんだから、よしとしましょうよ(笑)。
- 木村
- それで、そのとき初めて、
宮本さんのこだわりに直(じか)に触れることになりました。
たとえば、マルチプレイを実現することになったとき、
わたしは2人で遊べるものがあれば十分だと思っていたんです。 - 岩田
- それはどうしてなんですか?
- 木村
- まずは横スクロールのマリオで
プレイヤーが同時に遊べることが重要でしたので、
遊べる人数にこだわりはありませんでした。
あと裏事情というか、わたしには息子がいて
「息子と2人でマリオができれば十分だ」という
個人的な思いがありました。 - 岩田
- キノピオを起用して4人プレイにすることは、
当初は念頭になかったんですね。 - 木村
- はい。そこでマリオとルイージで遊べる試作をつくって
宮本さんにプレゼンしてみたんですけど・・・。 - 岩田
- 「どうして4人じゃないの?」と言われたんですね。
- 木村
- はい、そのとおりです(笑)。
- 岩田
- よくありそうなパターンです(笑)。
- 木村
- ズバリ「4人用で」と言われて、
それで急きょ、4人対応のシステムに変更しました。 - 岩田
- わたしが20年近く前から聞いていたくらい、
長い『スーパーマリオ』の歴史のなかでも、
マルチプレイの実現は
宮本さんの大きなテーマのひとつでしたから。 - 紺野
- マルチプレイに関しては
実は『マリオ3』のときも実験はしていたんです。
マリオとルイージの2人用を試したんですけど、
スクロールをうまく引っ張ることができなくて、
ジャンプしても落ちちゃったりとか、うまくいかなかったんです。 - 岩田
- 当時は2人がばらばらの方向に進んでいくと
1画面に収まらなくなってしまうという問題が
解けなかったんですよね。
でもWiiになってからは、
画面を引いて、とても広い範囲でステージを
見渡すことができるようになりましたので、
『マリオ3』の実験から22年くらい経って、
ようやく実現することができたんですね。
しかも2人用ではなく4人用で。 - 木村
- そうです。あと、Wii版の『Newマリオ』には、
Wiiリモコンを振って、マリオを回転させる
アクションがありますけど、その実験を繰り返しているときに
ジャンプ中にWiiリモコンを振ると、マリオの滞空時間が少し延びて、
ジャンプ距離が少し伸びる仕様を、
宮本さんは直感的に
「これは面白いから入れよう」とズバッと言ったんです。 - 岩田
- ジャンプして「届かない、ああ落ちてしまう」と思っても、
諦めないでWiiリモコンを振ってみると、
思わぬところにたどりつけるようになったんですね。
- 木村
- はい。アクションゲームとして、
またひとつ奥深いゲームになりました。
ところが、DS版の『Newマリオ』を遊んでみると、思わず・・・。 - 岩田
- はいはい、思わずDSを振ってしまうんですよね(笑)。
- 木村
- はい(笑)。
DS版を遊んでも、跳ぶ距離を伸ばしたくなってしまうんです。
このような新しい操作を迷いもなく入れて、
『マリオ』にすっかり馴染ませてしまうのは
やっぱりさすがだなと思いました。 - 岩田
- さて、3Dマリオのシリーズをつくってきた小泉さんも
宮本さんとずっと仕事をしてきたなかで、
なにか印象深いエピソードはありますか? - 小泉
- はい。実はとても印象に残っていることがあって、
『マリオ64』(※24)の試作を開始したとき、宮本さんが
「ディレクターは僕がするから」と言われたんです。
その言葉に、僕はきょとんとしてしまったんですけど、
宮本さんがディレクターを担当するのは・・・。 - 岩田
- すごく久しぶりでしたね。
- 小泉
- それほど、「自分でつくりたい」と思ったくらい、
3Dの世界に新しさを感じられたようなんです。
ところが、その後、あの宮本さんが
日々、頭をかかえていて・・・。 - 岩田
- 3Dアクションという新しい世界にチャレンジするわけですから、
解けない問題がいっぱい出てきたんですね。
『マリオ64』=『スーパーマリオ64』。NINTENDO64と同時に発売された、マリオ初の3Dアクションゲーム。1996年6月発売。小泉
: ええ。それで僕自身、宮本さんと
直に仕事をするのは初めてのことでしたし、
久しぶりにディレクターを担当する宮本さんから、
どんな仕様書が来るのかと楽しみな気持ちでいたんです。
ところが指示書がほとんどこなくて・・・。
- 岩田
- 宮本さんは指示書を書かれなかったんですか?
- 小泉
- たとえば1本橋をマリオが渡るシーンがあって、
宮本さんはそれをイラストで描かれるんですけど・・・・。 - 岩田
- ああ、確かにそれだけだと
「指示書になっていないじゃないですか」
と言いたくなっちゃいますね(笑)。 - 小泉
- そうなんです。それで僕は
「どんな感じに動かせばいいんだろう・・・」と
すごく悩みながら、夜中にコツコツと仕事をしていたら、
突然、宮本さんが僕の後ろに立って、
いきなりジェスチャーをはじめられたんです。 - 岩田
- 宮本さんがジェスチャー、ですか?(笑)
- 小泉
- (バランスをとるジェスチャーをしながら)
「こうじゃなくて・・・ほら、こうじゃない?」とか言いながら。
- 岩田
- (笑)。
宮本さんは自らジェスチャーをすることで、
マリオの動きを伝えようとされたんですね。 - 小泉
- 「このときの足の動きはこうで、軸はこのあたりにあって・・・」
みたいなことを、夜中の2時とか3時にしていたんです。
開発スタッフはとっくに帰っていて、
会社には僕と宮本さんしか残っていなかったんですけど、
「泳ぐのは平泳ぎじゃなくて、クロールでもなくて、こうかな?」と
実際にマリオの泳ぎを見せてくれたりしました。
しかも机の上で、完全に寝そべった状態で(笑)。 - 一同
- (笑)
- 小泉
- あのときのジェスチャーは
ちゃんと写真に撮っておけばよかったと思うんですが(笑)、
そのようなことを恥ずかし気もなくやるというところが、
「これがディレクターの仕事なんだ」と思いました。
それに、後から気がついたことなんですけど、
3Dの指示書を書くのはすごく難しいんです。 - 岩田
- 2Dとは違って、3Dの動きを
紙に書いて説明するのは確かに難しいですよね。 - 小泉
- はい。僕はその後も、『マリオ』だけでなく、3Dの『ゼルダ』でも
プレイヤーの設計を担当しましたが、
足をバタバタさせて「こんな感じ」とか、
キャラクターを動かすことに関して
とても小さなことまでこだわることの大切さを、
『マリオ64』のときに教えられたように思っています。 - 岩田
- 深夜に宮本さんがまさに身をもって教えてくれたんですね。
- 小泉
- はい(笑)。