「スーパーマリオ25周年」
『スーパーマリオ』シリーズ開発経験者 篇 その2
# 2. 「近所のお兄ちゃん」に教えられて
- 岩田
- 吉田さんはお兄さんの部屋に忍び込んだ話のほかに、
何か印象に残っていることはありますか? - 吉田
- 『マリオ64』のテレビコマーシャルを見たとき、
マリオがクッパのしっぽをつかんでぐるぐる回していましたよね。
それを見て「N64を絶対に買おう」と思いました。 - 岩田
- 「ゲームが変わる、64(ロクヨン)が変える」というコピーでしたね。
でも、どうしてN64を買おうと思ったんですか? - 吉田
- 怪獣特撮映画とかを見ていると、
ウルトラマンとかが怪獣のしっぽをつかんで、ぐるぐる振り回し、
放り投げるようなシーンがあったりしますよね。
それが自分にもできると思ったんです。 - 岩田
- なるほど(笑)。
- 吉田
- そこで頑張って貯金をして『マリオ64』を買って、
クリアした後もずっと遊んでいたんですけど、
任天堂に入社して、『NewスーパーマリオWii』をつくることになって
クッパのプログラムを担当することになったときは
まさか自分がと・・・。 - 岩田
- クッパをぐるぐる振り回すことに憧れていた自分が
まさかクッパをプログラムできるなんて、
思ってもみなかったんですね。 - 吉田
- はい。だからものすごくうれしかったですし、
頑張ってプログラムに取り組みました。
- 岩田
- 「ファミコンがあるでしょ」と言われて、
スーパーファミコンを買ってもらえなかった松浦さんはいかがですか? - 松浦
- 中学生になるまでファミコンひと筋だった僕が
いちばん遊んでいたのは『スーパーマリオ3』なんです。
姉といっしょに遊んでいたんですけど、僕はワープが好きで・・・。 - 岩田
- 土管のワープですか?
- 松浦
- 土管のワープもそうですけど、「笛」というアイテムがあって。
- 岩田
- はいはい、「笛」を使ってワープできましたよね。
- 松浦
- その「笛」の隠し場所とかは、
近所のお兄ちゃんが教えてくれるんです。 - 岩田
- 近所のお兄ちゃん・・・?
それは文字どおり「近所のお兄ちゃん」ですか?(笑) - 松浦
- はい。「近所のお兄ちゃん」はホントに何でも知っていたんです(キッパリ)。
- 岩田
- あははは(笑)。
- 松浦
- 隠し連続コインの位置だったり、隠し1UPの位置だったり、
『マリオ3』のあらゆることを、ぜんぶ教えてくれたんです。 - 岩田
- ああ、それは尊敬しますよね、子ども心に。
- 松浦
- それはもう、心の底から尊敬していました。
「笛」の隠し場所を教えてくれたのも「近所のお兄ちゃん」で、
僕は言われたとおりに遊んでいたので、
いまだにワープをしないで遊んだことがありません。 - 岩田
- そうなんですか(笑)。
- 松浦
- ワールド1では「笛」が2個手に入るんです。
その「笛」をふたつ連続で使えば、
ワールド1からワールド8まで一気に行けるんです。
ところが、ワールド2から7までの経験がないまま、8に行くので、
ぜんぜんクリアできなかったんです。 - 岩田
- 「遊び方としてはどうなの?」という気もしますが(笑)、
なにせ「近所のお兄ちゃん」が教えてくれた素晴らしい方法ですからね。 - 松浦
- だから、ワープを使わないと損な気がして。
ところが、ワールド8ではいきなり戦艦のようなものが出てきたりと、
めちゃくちゃ難しいところなので・・・。 - 岩田
- 当然、ワールド2、3、4、5と練習して、
そこで慣れた人のためにワールド7、8ができていますからね。 - 松浦
- 日曜日に朝からはじめるんですけど、
何回も何回もミスをして、ようやく8−2にたどり着いたと思ったら、
母親から「お昼ごはんだからもうやめなさい」と。
そんなことを毎週のように繰り返していました。
- 岩田
- さっきの天野さんの
「ワールド1なら任せてください」ではないですけど(笑)、
『マリオ3』のワールド8−1はものすごく詳しいんですね。 - 松浦
- はい(笑)。
ワールド8の・・・前半なら任せてください。 - 一同
- (笑)
- 松浦
- それで、ファミコンの『マリオ3』はクリアできなかったんですけど、
『スーパーマリオコレクション』(※8)が出てから
いとこの家で遊んだのですが、
初めて最後まで遊ぶことができました。
スーパーファミコンだとセーブができましたので。
『スーパーマリオコレクション』=1993年7月に、スーパーファミコン用ソフトとして発売。『スーパーマリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ2』『スーパーマリオブラザーズ3』『スーパーマリオUSA』の4タイトルを収録。
- 岩田
- ああ、なるほど。
『マリオ3』の頃はセーブができなかったわけですから、
遊びの構造が違っていましたね。 - 松浦
- たぶんそういうこともあって、ワープを使ったんだと思います。
遊ぶ時間が限られていましたし。
母親に対して何度も、ここまで来るのがいかに大変だったかを
必死に説明しても、聞き入れてもらえなかったんです。 - 岩田
- (笑)。なので、あともう少しというところで
電源を切らなきゃいけなくて、
切れば元の木阿弥になったんですね(笑)。 - 松浦
- はい。「早く切りなさい」と言われて、泣く泣く切っていました。
そのあと『マリオ64』が発売されると、
中学生になっていたこともあって、とことん遊びました。
120枚のスターを集めた後のほうが遊んでいるくらいで、
マリオを動かすのがとにかく楽しかったんです。
たとえばピーチ城の庭で、ぴょんぴょん跳ねるだけのアクションを
ひとりで1時間くらい続けたりとか。 - 吉田
- あ、それ、僕もやってました(笑)。
- 松浦
- 幅跳びが連続で何回できるかとかもやりましたし、
ゲーム雑誌に載っていた裏技を試したりもしていたんです。
たとえば、スター0枚で、ピーチ城に登るというワザとか。 - 吉田
- それ、僕もチャレンジしました。
もともとは、スターを120枚集めると、
庭に大砲が現れて、それでお城の屋上まで飛んで
ヨッシーに会えるようになっているんですけど、
スター0枚でも、ジャンプして登れるという裏技があって、
僕は何度やってもできなかったんです。 - 松浦
- あれは城の右側のほうから三段跳びをして、
最後は坂の途中の1点のところから
滑って跳んでカベキックをするんです。 - 吉田
- ああ、そうだったのか・・・。
- 岩田
- (笑)
- 松浦
- でも、めちゃくちゃ難しいです。
2時間くらいやり続けて、やっとできたくらいなんです。 - 吉田
- でも、できたんですね。それはすごい。
- 松浦
- でも、そんなに頑張ってお城の上に登っても、
ヨッシーはまだいなくて
1UPキノコが3つあるだけなんですけどね。 - 一同
- (笑)
- 松浦
- そんな感じで、『マリオ64』がなかったら
僕は今ここにはいないと思えるくらい、夢中になりました。 - 岩田
- なるほど、ちょっと濃い話が続きましたが(笑)、
藤井さんはどうでしたか?
ギャラリーの立場からお話していただいてもいいのですが。 - 藤井
- わたしは松浦さんのような濃い遊び方は
とてもできないくらいヘタでしたので、
人のプレイを見ていることが多かったんです。
近所の友だちと遊んでいると、
ゲームのうまい子が必ずひとりはいて・・・。
- 岩田
- その人はヒーローなんですよね。
- 藤井
- そうなんです。
しかも、その子はたくさんのゲームを持っていて、
それまでに発売された『マリオ』シリーズは
全部そろえていたくらいなんです。
なので、その子の家に遊びに行くことが多くて、
上手なプレイをじーっと見ながら、
わたしはずっとお菓子を食べていました。 - 岩田
- (笑)
- 藤井
- そんな感じでしたので、初代の『スーパーマリオ』は、
途中で挫折してしまって、クリアできなかったんです。
でも、『マリオ64』が出たときは、弟といっしょに頑張って、
最後のクッパを倒すことができました。
『マリオ』シリーズでは、唯一クリアできたのが『マリオ64』なんです。 - 岩田
- 感動しましたか? クリアしたときは。
- 藤井
- はい、とても感動しました。
- 岩田
- エンディングにあまり行き慣れていない人が行くと、
すごくうれしくないですか?
たぶん、いつもエンディングを見ている人の
10倍くらいうれしいんじゃないでしょうか(笑)。 - 藤井
- はい。しっかり記憶に残っています(笑)。
そもそも『マリオ64』が出たときは、
わたし自身がちょっと成長してから遊んだということもあって、
とても濃く遊んだ印象があります。
先ほど松浦さんがピーチ城の庭で、
ぴょんぴょん跳ねていたという話をしていましたが、
わたしも同じで、何をするわけでもないのに、
駆け回ったりするだけで、すごく楽しかったんです。 - 岩田
- 『マリオ64』は、
クリアする目的とは別のところで、
ものすごく遊んだと言ってくださる人が多いですよね。 - 藤井
- そう思います。走り回るだけで
自分がその世界にいるように感じることができたんです。
なので、同じワールドを何回も遊んだりとか、
ただ歩き回るようなことを繰り返していました。 - 岩田
- スライダーのところは何回も遊びましたか?
- 藤井
- はい。何回やっても途中で落ちちゃうんですけど(笑)。
- 岩田
- じゃあ、『スーパーマリオコレクション』の
サウンドトラックCDに収録されているあの音楽も
耳に残ってますよね? - 藤井
- はい、それはもう。何回も聴きましたから!(笑)