「スーパーマリオ25周年」
『スーパーマリオ』シリーズ開発経験者 篇 その2
# 3. 遊び手からつくり手に変わって
- 岩田
- さて、遊び手として『マリオ』とともに育ったみなさんが、
ゲームのつくり手に変わるキッカケがあったと思いますが、
それはどんなことでしたか? - 天野
- 僕は大学を卒業するときに
1社だけ受けようと思いまして、それが任天堂でした。 - 岩田
- どうして任天堂を受けようと思ったのですか?
- 天野
- 大学生のときに、映画を撮っていたんですけど、
撮影前の待ち時間のときに、役者さんとかといっしょに
N64の対戦ゲームで遊んでいたんです。
それがとにかく楽しくて・・・。
もともとスーパーファミコン世代なので
ゲームはずっと遊んでいたんですけど、
やっぱりN64のゲームは触って楽しいものばかりでしたし、
できれば、そういった楽しい商品を
開発している任天堂に入りたいと思ったんです。 - 岩田
- 任天堂に入ってからはどうでしたか?
- 天野
- 僕はもともとデザイナー志望でした。
当時のゲームはちょうど3Dが流行っていて、
僕は映画を撮るのと並行して3Dの勉強もしていたんです。
なので、任天堂に入ったら3Dデザイナーになるつもりだったんですけど、
入った瞬間に、手塚(卓志)(※9)さんから
「プランナーをやってほしい」と言われて。 - 岩田
- 入った瞬間にですか?
- 天野
- たぶん僕の絵がヘタだったということなんでしょうけど(笑)。
で、最初にゲームボーイアドバンスの
『マリオアドバンス4』(※10)を担当したんです。
- 岩田
- 入っていきなり『マリオ』にかかわったんですね。
- 天野
- はい。ただ、僕が入ったときはほとんど完成していて、
あとはデバッグの作業と、カードeリーダー+で
新しい遊びを考えようという状況でした。 - 岩田
- カードeリーダー(※11)というのは、
カードに印刷した二次元バーコードを読み取るための
ゲームボーイアドバンスの周辺機器で、
カードeリーダー+は、その上位機種として
ゲームキューブや別のゲームボーイアドバンスとの
通信機能などが追加されたものでしたね。 - 天野
- はい。そこで、新たにコースを追加できたり、
スーパープレイが見られるようにしたいと考えました。
で、いったん『マリオアドバンス4』ができあがった後に、
僕が何をしていたかというと、マリオクラブ(※12)で、
『マリオアドバンス4』のスーパープレイを
ひたすら録っていたんです。 - 岩田
- 天野さんが自分で、ですか?
- 天野
- はい。僕はそんなにゲームがうまいわけでもなかったんですけど、
のちに『NewスーパーマリオWii』でディレクターを担当することになる
足助(重之)(※13)さんが、僕の面倒を見てくれたんです。
ところが、足助さんのスーパープレイの質に対する要求が
ものすごく厳しかったんです。
「土管には必ず真ん中から入るように!」とか
「ここで無意味なジャンプをしてはダメ!」とか・・・。
さらに、自分ではすごくうまく録れたと思ったのに、
「人がプレイしたような動きに見えない」とボツにされたこともありました。 - 岩田
- スーパープレイの完成度があまりにも高すぎて、
天野さんが実際にプレイしたようには見えなかったんですね(笑)。
スーパープレイのクオリティに対する足助さんの要求が
それくらい厳しいので、スタッフが泣いた、
という話はわたしも聞きました。 - 天野
- その泣いたスタッフというのは僕です(キッパリ)。
- 一同
- (笑)
手塚(卓志)=任天堂情報開発本部 制作部部長。『スーパーマリオブラザーズ』制作者のひとり。
『マリオアドバンス4』=『スーパーマリオアドバンス4』。2003年7月に発売されたアクションゲーム。ファミコンの『スーパーマリオ3』をゲームボーイアドバンス用ソフトにリメイクしたもの。
カードeリーダー=2001年12月に発売されたゲームボーイアドバンスの周辺機器。カードeに印刷された二次元バーコードを読みこむことによって、ミニゲームが楽しめたり、新しいデータを追加したりすることができた。2003年6月には、ゲームキューブや別のゲームボーイアドバンスとの通信機能が追加された「カードeリーダー+」が発売された。
マリオクラブ=マリオクラブ株式会社。任天堂の開発中ソフトのデバッグやテストプレイを行う。
足助重之(あすけしげゆき)=任天堂情報開発本部 制作部所属。
- 天野
- 『NewスーパーマリオWii』の「おたからムービー」は、
たくさんの人たちから話題にしていただくことができましたけど、
実はスケジュール的に厳しいこともあって、
「今回は入れないほうがいいんじゃないか」という声もあったんです。
でも、7年前の自分自身の経験から、
「これはとても良い機能だ!」と感じていましたので、
つくるのが大変だとしても、僕は入れるべきだと思っていました。 - 岩田
- 7年前に泣きながら、足助さんといっしょに苦労したことが、
『NewスーパーマリオWii』の「おたからムービー」につながっている、
というわけなんですね。
- 天野
- はい。
- 岩田
- 「それをみなさん忘れないでください!」と、
天野さんは言いたいんですね。 - 天野
- はい。この場を借りて、
しっかりお伝えしたいと思います(笑)。 - 岩田
- わかりました(笑)。
さて、西村さんがつくり手になることになったのは、
どんなことがキッカケだったのですか? - 西村
- わたしは歴代の『マリオ』を遊んできましたが、
とくに『マリオ3』のときに「なんてかわいい絵なんだろう」
と思いながら触っていたんです。 - 岩田
- やっぱり、もともとデザインを志向していたので、
絵のほうに目が行くんですね。 - 西村
- はい。いろんなものに変身するマリオを見ているだけで
キュンとしてしまったんです(笑)。
しかも、そのかわいさと、変身した後の性能が、
ひと目でわかるようになっていることにとても感心して。 - 岩田
- 絵を見て性能がすぐにわかるということは、
けっこう早くから意識されていましたか? - 西村
- いえ、もちろん子どもの頃は、そういうことには気づかずに
夢中になって遊んでいるだけだったんですけど、
大きくなるにつれて「『マリオ3』の何が面白かったんだろう」
と考えるようになりました。 - 岩田
- ゲームの仕事に興味をもつようになったのはいつ頃からですか?
- 西村
- 大学生になってからです。
友だちとゲームを遊んでいるとき、みんなの表情がキラキラしていて、
あのような笑顔はなかなか見られるものではありませんし、
しかも、遊んでいる人だけでなく、家族みんなが楽しめるわけですよね。
ですから、そんな笑顔をつくりだせる仕事に就きたいと思ったんです。
もともとわたしは、それほどゲームが得意ではないのですが、
弟がとてもうまくて、その姿を見ながら育ちましたので、
「これほど人を夢中にさせるゲームって何だろう」ということにも
ずっと興味がありました。 - 岩田
- 西村さんは任天堂ゲームセミナー(※14)の出身なんですよね。
- 西村
- はい、そうです。
やっぱり『マリオ』シリーズが大好きだったということもありますし、
まずゲームセミナーを受けて、「ゲームとは何か」
「自分はゲームのことを本当に好きなのか」ということを、
ゲームづくりの体験を通じて理解したいと思ったんです。
任天堂ゲームセミナー=学生を対象に、ゲーム制作が体験できる任天堂主催の実践的セミナー。
- 岩田
- 実際にゲームをつくってみて、どうでしたか?
「遊んで面白いな」とか、
「人を笑顔にする仕事っていいな」と思ったのと、
また違う印象があったんじゃないでしょうか。 - 西村
- そうなんです。
本当に、本当に、こんなに大変なことなんだと(笑)。
ゲームセミナーではパズルゲームの企画を考えたのですが、
みんなで四苦八苦しまして・・・。
- 岩田
- 遊び手の人たちにとっては、当たり前のことでも、
つくり手にまわると、いろんな人がそれぞれに汗をかいて、
ヒーヒー言わないとゲームはできませんからね。 - 西村
- はい、こんなに大変な仕事なんだということが
イヤというほど身にしみてわかりました。 - 岩田
- 任天堂に入社してからはどうですか?
- 西村
- わたしはいま、デザインのなかでもちょっと特殊な、
エフェクトデザインという視覚効果を担当しているんですが・・・。 - 岩田
- エフェクトデザインとはどういうことをするのか、
ちょっと説明してもらえますか? - 西村
- 一般的によく言われるのが、
ゲーム中で何かにぶつかったときの光ですとか、
雨を降らせるような環境をつくったりですとか、
ゲームのなかでどんなことが起こっているのかを
プレイヤーにすぐにわかっていただくようにする、
目に見えないものを視覚化する仕事です。 - 岩田
- マンガでいうと、効果線みたいなもので、
現実の世界では見えないものであっても、
それを表現することで、起こったことをよりわかりやすくするための
効果を視覚的に追求する仕事ですよね。 - 西村
- はい。そのとおりです。
そこで、これまで『マリオ』シリーズを触ってきて、
とてもシンプルな表現でありながらも
パッと見て、直感的に伝わってくる部分があって、
それはどうしてなんだろうと、ずっと気になっていたんです。
なので、いまこのような仕事に就けているというのが、
すごく運命のようなものを感じている部分もあって・・・。 - 岩田
- 遊んで手ごたえを感じていた人が、
いまは手ごたえをつくる側に回っているわけですね。 - 西村
- はい。かつては遊び手として
『マリオ3』や『マリオUSA』などをプレイして、
そのときに感じた手触り感や機能を伝えることを、
いまはつくり手の側にまわって、提案しなきゃいけないということで、
やりがいをすごく感じています。