「スーパーマリオ25周年」
『スーパーマリオ』シリーズ開発経験者 篇 その2
# 4. 「任天堂に入りたい」
- 岩田
- 吉田さんがゲームのつくり手になろうと思った
キッカケはどんなことでしたか? - 吉田
- 先ほど兄の部屋に忍び込んだ話をしましたけど、
わたしには弟もいて、
『マリオブラザーズ』(※15)の2人対戦で
いつもいっしょに遊んでいたんです。
で、弟と対戦していると、いつも負けるんです。
弟のほうがだんぜんゲームがうまかったんです。
『マリオブラザーズ』=1983年にアーケード版が登場し、同年9月にファミコン版が発売されたアクション
ゲーム。
- 岩田
- でも、一般的にいって、
弟はなかなかお兄ちゃんに勝てないものですよね。
小さな頃というのは、わずかな年齢差でもすごい差ですから。 - 吉田
- ふつうはそうだと思うんですけど、
弟のほうが僕よりも学校の授業が早く終わるので、
先に帰って兄の部屋に忍び込んでいたんです。 - 一同
- (笑)
- 岩田
- 吉田さんが後からお兄さんの部屋に忍び込んだときには、
弟さんがすでにトレーニングをたっぷり積んでいた、
ということですか(笑)。 - 吉田
- はい。ですからいつも弟に負かされていたんです。
しかも、兄が帰ってくると「ふたりとも出ていけ!」
と言われてしまいますし(笑)。 - 岩田
- あははは(笑)。
- 吉田
- 弟に勝とうと思ってもなかなか勝てないですし、
そこで僕が制作者側になれば、弟がクリアできないような
難しいコースもつくれるんじゃないかと
思うようになったんです。 - 岩田
- へえ〜、それは面白い発想ですね(笑)。
- 吉田
- そこで、子どもながらにいろいろ考えて、
買ってきた方眼紙にゲームのコースや
RPGのマップを描くようなことをはじめました。
あと、RPGが自作できる『RPGツクール』(※16)が発売されたときは、
それを買ってきて自分のゲームをつくってみたりもしました。
『RPGツクール』=株式会社エンターブレインから発売されているRPGを自作できるソフト。シリーズはPC版をはじめスーパーファミコン版やDS版など多数発売されている。
- 岩田
- 自作のゲームで弟さんをぎゃふんと言わせたかったんですか。
- 吉田
- はい。でも弟は遊んでくれなかったんですよ・・・。
せっかく弟のためにつくったのに。
- 岩田
- あらら(笑)。
- 吉田
- だから仕方ないので、僕の友人に渡して
「これ、頑張ってつくったので、やってみてくれ」
と頼んだりしました。その後で友だちから
「すごくよかったよ」と言ってもらえたときは、
本当にうれしかったです。 - 岩田
- そもそもゲームって、遊ぶのはもちろん面白いんですけど、
つくる喜びに目覚めると、
遊ぶ喜びとはまた違う、格別な喜びがあるんですよ。 - 吉田
- はい。そのときにすごく実感しました。
友だちがプレイするのを後ろから見ていて
「あ、やっぱりここで引っかかってる」とか・・・。 - 岩田
- (笑)。そのときに感動を味わったので
つくり手になりたいと思うようになったんですか? - 吉田
- はい。ただ、もちろんそれもあるんですけど、
もうひとつ大きなキッカケになったのは、
僕が通っていた小学校にコンピュータールームがあって、
自分でプログラムを書いて
絵を表示させる授業があったんです。
そのときに初めて、自分でプログラムしたものが
画面に表示されるというのを経験して、
「僕にもゲームがつくれそうだ」と。
そのとき小学4年生だったんですけど、本気で
「ゲームをつくりたい」と思うようになりました。 - 岩田
- 松浦さんがつくり手になりたいと思った
キッカケは何だったんですか? - 松浦
- 中学1年のときに『マリオ64』を買ってもらって、
それがめちゃくちゃ面白かったので
「任天堂に入りたい」と思ったんですけど、
先ほど吉田さんが「小学4年生」と言われたので・・・。 - 岩田
- 上には上がいるなということですか(笑)。
- 松浦
- はい、負けました(笑)。
もともと僕は国語が得意で、数学は苦手だったんです。
それでも理系に進んで、プログラマーになりたいと
中1のときに思ったんです。
というのも、中学生の知識ではゲームをつくる人というのは
プログラマーしか思い浮かばなかったんです。
デザイナーの存在も頭から抜けていて、
すべてプログラマーがつくっているものだと思っていましたから。 - 吉田
- あ、僕もそう思っていました。
- 岩田
- いや、大昔はそういう時代もあったんですけどね(笑)。
- 松浦
- それで、プログラマーになるための勉強をして
任天堂に入ることができたんですけど、
最初は天野さんと同じようにマリオクラブに出向して、
デバッグの仕事にかかわりました。
もともとプログラムの知識があったので
バグが発生しそうな場所がなんとなくわかったりして、
自分に合ってる仕事だと思いました。
- 岩田
- 原理がわかっているのでイメージできるんですね。
- 松浦
- はい。たとえば、マリオが小さくなったマメマリオがいて、
そのマメマリオで、全コースを遊んでみるとどうなるんだろうとか。
試しに遊んでみると、大きなキノコがつながっているコースがあって、
そのキノコの間にはすき間はないんですけど、
走っていたらスッと下に落ちたりして。 - 岩田
- ちっちゃいからすき間をすり抜けてしまうんですね。
- 松浦
- そうなんです。で、そのような仕事をしているうちに、
マメマリオでふだんはやらないコースを遊べば
マメマリオの「おたからムービー」ができるんじゃないかと思って、
結果的に『NewスーパーマリオWii』の「おたからムービー」は
65個入っているんですが、
そのうちの8個がマメマリオ関係になりました。 - 岩田
- 7年前に天野さんがスーパープレイを録ったように、
今度は松浦さんがスーパープレイを録ったんですね。 - 松浦
- はい。実際にプレイしたのはデバッガーさんたちなんですけど、
やっぱり「土管の真ん中から入るように」とか
「無駄なジャンプをするのはダメ」と言われました。
それに加えて、ふたつセットで浮いているコインは、
「ふたつとも取るか、そうではない場合は取るな」と。 - 岩田
- あははは(笑)。
- 松浦
- 「コインを1個だけ残すのはダメ」と言われて。
- 岩田
- なるほど、美しくないんですね。
- 天野
- そうなんです。「おたからムービー」は美しくないとダメなんです。
ちなみに「おたからムービー」は基本的に美しく、
そのなかでもひときわ美しいものを「スーパープレイ」と呼んでいます。 - 西村
- わたしは、足助さんと天野さんと席が近かったんですけど、
ふたりで画面を見ながら「ああ、惜しいなあ」とか
「もうちょっとなんだけどなあ」と言いながら、
毎回のようにダメ出しをしているのが印象的でした(笑)。 - 松浦
- ですから「またダメだった」という感じで
デバッガーさんといっしょに
何度も「おたからムービー」を録っていたんです。
なので、実は今回泣かされたのは僕なんです。
しかも、足助さんと天野さんのふたりから。 - 一同
- (笑)
- 岩田
- 歴史は繰り返すということですかね(笑)。
- 松浦
- そうみたいです(笑)。