『えいごで旅する リトル・チャロ』
5. デバッグチームが泣いた
- 岩田
- 第2部は、本作『えいごで旅する リトル・チャロ』を
つくった人たちからお話をお訊きしたいと思います。
よろしくお願いいたします。 - 一同
- よろしくお願いいたします。
- 岩田
- ではまず自己紹介と、みなさんが
何を担当されたのかということをお話しいただけますか? - 鵜川
- はい。NHKエデュケーショナルの鵜川です。
わたしはプロデューサーとして適材適所に人を配置したくらいで。
開発の終盤に、教材としての解説部分などで多少関わりましたが、
実際にものをつくるという部分は、
隣に座っている石井にほとんど任せていました。
- 石井
- いえいえ、そんなことはないです(笑)。
NHKエデュケーショナルの石井と申します。
- 岩田
- どうもいろいろお世話になりました。
ありがとうございました。 - 石井
- こちらこそ本当にありがとうございました。
今回はNHK側のいろんな窓口として、
ジュピターさん(※8)と任天堂さんとのやりとりを
担当させていただきました。 - 服部
- 石井さんには、実際の作業も含めて、
本当にいろんなことをしていただいたんです。 - 石井
- はい、何から何までやらせていただきました。
台本のプリントアウトのようなこととかも(笑)。
株式会社ジュピター=『ピクロス』シリーズなどのソフト開発のほか、任天堂ライセンス商品の開発・販売などを行う。1992年設立。本社は京都。
- 村上
- ジュピターの村上と申します。
肩書き上はマネージャーということで、
2008年の4月に企画のお話をいただいたときから
最後の完成まで関わらせてもらったんですけど、
実際に現場のなかで、たとえば仕様面ですとか、
ゲームの方向性を含めて、ディレクションに近いことを担当しつつ、
手が空いたときにはスクリプトを打つとか、
とにかくいろんなことをしていました。
- 岩田
- 村上さんも石井さんと同じで
何から何までされていたんですね。 - 村上
- はい。何から何までしてました。
「手が空けば手伝ってね」とか言われたりもしていました(笑)。 - 服部
- 任天堂の服部です。
任天堂側のディレクターをしていまして、
ジュピターのディレクターさんといっしょに
仕様を詰めたりだとか、そういったことをしていました。
- 岩田
- さて、今作の『リトル・チャロ』が生まれるきっかけは
どうやってはじまったのか、という話は
どなたからしていただくのがいいんでしょうか? - 鵜川
- では、わたしからしましょうか。
- 岩田
- はい、お願いします。
- 鵜川
- 第1部の純名さんと長野のインタビューでも話が出ましたが、
もともと番組の『リトル・チャロ』がはじまったときに、
「ゲーム化したい」という話があったんです。
NHKエデュケーショナルという組織は、
NHKのコンテンツを世に広めていくという役割も持っているのですが、
直接DSのようなゲームソフトを制作することはありません。
そこで、ゲームを開発してくれる会社さんを探すことになりまして、
そのとき、たまたま別件で任天堂さんとはおつきあいがありましたので、
任天堂のプロデューサーの山上(仁志)(※9)さんに、
『リトル・チャロ』の企画書を持っていって、
「検討していただけませんか?」ということでお願いして、
よい返事をいただいたというわけです。
山上仁志=任天堂 企画開発部所属。
- 岩田
- そのプレゼンのとき、服部さんは同席していたんですか?
- 服部
- いえ、していません。
- 岩田
- じゃあ、後から企画書を見たんですね。
それを見たとき、どう思いました? - 服部
- 「このかわいいキャラは何だ!?」と思いました。
- 岩田
- (笑)。
そのときは、すでに放送がはじまっていたんですか? - 服部
- 最初にお話をいただいたのが、
2008年の4月だったので、放送がはじまった直後くらいですね。 - 岩田
- 放送の直後から話題になりはじめていましたよね。
- 服部
- はい。わたしは名前だけは知っていたのですが、
どのような番組なのか、詳しくは知らなかったんです。
ところが、キャラクターを見ただけでひと目ぼれしてしまいました。 - 岩田
- 実は担当者が惚れるというのは
けっこう重要なポイントなんですよね。
鵜川さん、それはきっと番組制作でも同じですよね。
- 鵜川
- 同じです。プロデューサーの長野がその典型で、
実は長野自らが『リトル・チャロ』の脚本に関わっているんです。
それで、書き上がった脚本を読んで自分で泣いていたんです。 - 岩田
- へえ、それはすごい。
まるで、泣きの自家発電ですね(笑)。 - 一同
- (笑)
- 鵜川
- その姿を見て、「さすがに泣かないでしょう」と。
ところが読んでみたら・・・僕も泣いちゃったんです(笑)。 - 岩田
- 泣くつもりはなかったのに
それでも泣くというのはすごいですね。 - 鵜川
- 会社の自分の席でうるうるしちゃったものですから、
もう、そこに「人が訪ねてきたらどうしよう」と思ったくらいで。
とくに後半は涙なしには語れないシーンがたくさんあって、
そこはやっぱり泣いちゃうんです。 - 服部
- 実はデバッグスタッフも泣いていたんです。
- 岩田
- え!?あのマリオクラブ(※10)の猛者たちがですか?
- 服部
- ええ、デバッグしながら(笑)。
- 岩田
- ・・・ふだん、超人のような技量で
ゲームをクリアする、あの人たちが泣いたんですか? - 服部
- はい(笑)。
それくらい感動していたんです。
マリオクラブ=マリオクラブ株式会社。任天堂の開発中ソフトのデバッグやテストプレイを行う。
- 岩田
- はー・・・彼らが泣くというのは、あまり想像できないですね。
ふだんは、どちらかというと、
ゲームの詰めが甘いところをビシバシと指摘されて、
つくり手がたじたじとさせられる関係ですので(笑)。 - 石井
- あ、でも今回もそのようなことはありましたよ。
- 岩田
- やっぱり。彼らは、仕様に至らないことに関しては
まったく容赦しませんからね。 - 石井
- (しみじみと)ええ、容赦なかったです・・・。
- 岩田
- (笑)
- 服部
- 実は今回、ゲームの調整を最後の最後まで行うために、
ギリギリまで声の収録をしない方針だったんです。
なので、デバッグがはじまった頃は
任天堂のスタッフの声を代わりに入れていたんです。 - 鵜川
- 最初は服部さんの声も入っていたんです。
- 服部
- 仮の音声を入れたのは
容量を計算するのに必要だったからなんです。
そこで、ICレコーダーを使って自分で録音して、
その音声を実装したものをマリオクラブの人たちに
プレイしてもらっていました。
でも、純名さんたちの声が入った最終版をプレイすると、
それまで何十時間もプレイしたはずなのに
改めて泣いている人もいて・・・。 - 岩田
- ストーリーがわかっているのにですか?
- 服部
- はい。ある女性スタッフは最終版をプレイしていたら、
思わず泣きそうになったので、慌ててトイレに駆け込んで、
ひとりでさめざめと泣いていた、という話もありました。
それはたぶん、ゲームの場合、
より長いことおつきあいいただかないと話が進みませんので、
自分がチャロといっしょに冒険している気分になって、
それで感情移入の度合いが高くなって、
泣いちゃったりするんだろうなと思うんです。 - 鵜川
- 今回、泣けるゲームになったというのは、
とてもありがたいことだと思っています。
もともとは、初期の段階の打ち合わせのときに
このゲームの方向性をどうするかという話になって、
僕と長野が「泣けるようにしてください」とお願いをしましたよね。
- 服部
- ええ、そうでした。
- 鵜川
- もちろん、このソフトをプレイすることで
英語ができるようになってほしいという気持ちはあるんですけど、
それよりもまず、『リトル・チャロ』では泣いてもらいたいんです。
で、その後に、人としての優しさみたいなものが心の中に残って、
他人に対して親切になったりしてほしいという想いもあるので、
そこはぜひお願いしますと。 - 岩田
- 感動のあとに英語がついてくる、
くらいの位置づけなんですね。 - 鵜川
- そうです。
- 服部
- そもそも、ゲームは時間がかかりますので、
その間、ずっと英語を聴き続けることになりますよね。
ですから、あまり英語を押しつけなくても、
自然に耳に入ってくるようになっていると思います。