『メイドイン俺』
2. 飽きっぽい人でも安心!?
- 岩田
- では、続いて畠山さん、
このプロジェクトにどのように巻き込まれたのか、
自己紹介を含めて話してください。 - 畠山
- 阿部さんと同じ企画開発部
第1プロダクショングループの畠山です。
僕は2006年入社なんですが、
いちばん最初に関わったのが『DSテレビ』(※4)で、
その開発が終わってから
「次の仕事は何だろう?」と思ってるところに、
『おどる』の開発を終えた阿部さんが戻ってきたんです。
『DSテレビ』=ワンセグ放送をDSで受信することができるアダプタ。2007年11月発売。
- 阿部
- 『戻ってきた』というのはどういうことかというと、
『おどる』の開発の終盤には
インテリジェントシステムズさんの仕事場に
僕はずっとこもってたんです。 - 畠山
- で、戻ってきた阿部さんの席は
僕のちょうど真後ろで。 - 岩田
- 席が近いから巻き込まれたんですね(笑)。
- 一同
- (笑)
- 畠山
- それだけじゃないと思うんですけど(笑)。
やっぱり席が近いと雑談したりしますよね。
それで、今回の企画について少しだけ聞く機会があって
僕はそれがとてもおもしろいと思ったんです。
そもそも任天堂に入るくらいですから、
中学生のころはゲーム制作ソフトに夢中になって
シューティングゲームをつくったりしてたんです。
- 岩田
- 阿部さんとおんなじじゃないですか(笑)。
- 畠山
- ところが1面の3分の1くらいをつくって・・・。
- 岩田
- 挫折したんですね。
- 畠山
- ・・・はい。
- 岩田
- 飽きっぽいのもおんなじじゃないですか(笑)。
- 一同
- (笑)
- 畠山
- ゲームを作り上げるためには凄く手間がかかるのに、
それで何面もつくるなんてとても考えられないと、
そう思ってやめたんですね。
で、それ以前は『マリオペイント』(※5)に
すごく夢中になっていたことがあったんです。
小学生のときだったんですけど。 - 岩田
- マウスで絵を描いていたんですね。
- 畠山
- はい。僕はもともと
そんなに絵を描くタイプじゃなかったんですけど、
なぜか『マリオペイント』のときは
すごくいっぱい絵を描いて、
それをテレビでやってるものですから、
親がじーっと見てたんです。
当時の僕はゲームで遊んでばっかりいましたので、
それがRPGとかだと、露骨にイヤな顔をするんです。
ところが『マリオペイント』で絵を描いてると、
「すごくいいじゃない」とほめられたんです。 - 一同
- (笑)
- 畠山
- 「芸術系の才能があるんじゃない?」とか
言われたりして(笑)。
だから『マリオペイント』だけは夜遅くまでやっても
親から怒られなかったんです。 - 岩田
- はい(笑)。
『マリオペイント』=スーパーファミコンで登場したお絵描きツールソフト。1992年7月発売。
- 畠山
- そういう経験があったものですから、
『メイドインワリオ』を題材に
ゲーム制作ソフトをつくるという話を聞いたとき、
これはイケるんじゃないかと思いました。
絵を描いたり、音楽を作ったり、
クリエイティブな面もありますので、
親御さんからもそれほど悪い顔をされないと思いましたし、
しかもつくるのは短いプチゲームですから(笑)。 - 岩田
- 飽きっぽい人でも安心(笑)。
- 畠山
- (笑)。そしたらあるとき阿部さんから、
「いっしょにどう?」みたいなことを言われたので、
僕も「やりたいです」と答えたんです。 - 岩田
- なるほど。願ったり叶ったりだったんですね。
さて、インテリジェントシステムズの杉岡さんは
社長が訊く『うつすメイドインワリオ』(※6)に続いての
登場になりますね。
杉岡さんはどうやって巻き込まれたんですか?
『うつすメイドインワリオ』=2008年12月にDSiウェアで配信がはじまったDSi専用ソフト。
- 杉岡
- 『おどる』の開発が終わったあと、
阿部さんが何か新しいことをやろうとしてると
話だけは聞いていたんです。
- 岩田
- 人づてに聞いたんですか。
- 杉岡
- はい。というのも
当時わたしは『さわる』の韓国版を開発していて、
それどころじゃなかったんです。
で、その仕事がちょうど終わったころに
阿部さんが話を持ってこられたんです。 - 岩田
- 「こんなんつくりたいけどどう?」
みたいな話で誘われたんですか。 - 杉岡
- ええ。
- 岩田
- 最初に話を聞かされてどう感じましたか?
- 杉岡
- 企画はおもしろいと思ったんです。
でも、いざつくるとなれば、
僕もいっしょに細かな部分を考えなきゃいけないので
本当にできるんだろうかと、ちょっと不安になりました。 - 岩田
- 阿部さんのアタマのなかには、
バラ色の夢が広がっているけど、
本当に実現できるんだろうかと考えたんですね。 - 杉岡
- そうです。
- 阿部
- そこで、最初は杉岡さんと2人だけで
実験をはじめてみることにしました。
絵を描く部分については、
『マリオペイント』をベースにすることにして
音楽をつくるのも、音符を並べることで
なんとかできるだろうと。
ただ、遊びのルールをつくるのが
いちばん難しいところで・・・。
- 岩田
- 絵を描くにしても、音楽をつくるにしても、
『マリオペイント』のようなお手本があるからいいけれど、
どのようなルールのゲームにするかについては
お手本がないから試行錯誤が必要だったんですね。 - 阿部
- はい。そこで、プチゲームに登場する
キャラクターやアイテムなどを
「ぶったい(物体)」と呼ぶことにして
動かせるようにしたんですけど、
ゲームですからインタラクティブにしないといけないですし、
しかもカンタンに触ってもらえるものでないといけない。
その仕掛けの部分ではかなり試行錯誤をしましたね。
開発期間は2年弱だったんですけど、
その半分の1年くらいは
そこの仕組みを固めるために費やしました。 - 岩田
- 長いトンネルを走っていたんですね。
そのとき杉岡さんはどんなことを考えたのですか? - 杉岡
- 一般のお客さんでもカンタンに
プチゲームをつくれるようにするためにはどうしたらいいのか。
それを実現するために、3つの部分に大きく分けることにしました。
まず、先ほど阿部さんが言った「ぶったい」。
そして動きのない「はいけい(背景)」。
それにサウンドの「おとづくり(音づくり)」ですね。
これらを制作するためには
お絵かきや音づくりのできるツールが必要になります。 - 岩田
- そこで、プチゲームの“部品”をつくるための
ツールの制作に取りかかったんですね。 - 杉岡
- はい。ただ『マリオペイント』のような
お手本があるとは言っても、
DSのユーザーインターフェイスとはかなり異なりますので、
何度も修正しながら試行錯誤を繰り返しました。 - 岩田
- そして「ぶったい」も「はいけい」も描けるようになり、
「おとづくり」もできるようになった。
でも、それらの“部品”はバラバラに存在してるんですね。 - 杉岡
- そうなんです。そこで、
それらの“部品”を1本のゲームにまとめる
「くみたて(組み立て)」に入る必要があるのですが、
試しにひな形のようなものをつくってみたんです。
それをデザイナーに渡してみたら
ほんの数時間でプチゲームができあがったんです。
それを見て「できるやん」と(笑)。
そこからは一気でしたね。
- 岩田
- 開発が加速したんですね。
- 杉岡
- チーム内もすごく盛り上がりました。
というのも、それをつくったのが
デザイナーだったのですごく驚いたんです。
プログラマーだったらわかるんですよ。
裏道のテクニックを知っていたり
ものごとをロジカルに考えることが得意ですから。
ところが今回はデザイナーでも、
ここまでできるんだということがわかって
とても感動しました。
そこで10数個のプチゲームをつくったんですけど、
この段階でも十分商品としてやれるなと。
もちろんその後も、いろんな要素を
追加していくことになるんですけど、
そのときに「行ける」というのを実感して、
山を越えたような感じはありましたね。