『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』
2. アンケートはがきがキッカケで
- 岩田
- 『ドラゴンクエスト』の面白さは
堀井さんがイメージしていたようなプロセスで、
世の中に広がっていったんですか? - 堀井
- わりとそうでしたね。
けっこう最初の段階から手ごたえがありました。
面白いと思ってつくったら、
ちゃんと面白いと思ってもらえましたし。 - 岩田
- ゲームの中身に関しても、
人にどうしても言いたくなるための仕掛けを、
いろいろ考えてつくられたんですか? - 堀井
- それはある意味、
いまから考えるとすごくカンタンだったんですよ。
というのは、当時、
コンピュータゲームはそれほど普及してないし、
そんな時代に、テレビの画面から
自分の名前を呼びかけてくれるだけでも
みんな驚いちゃうわけですよ。
たとえば「すぎやん」とかね(笑)。 - すぎやま
- うん、あれはうれしかったねえ(笑)。
- 岩田
- ああ、なるほど(笑)。
自分の名前を付けるという行為自体が、
あの時点では発明でしたからね。 - 堀井
- 「これ、俺?」みたいな(笑)。
それで、主人公を自分の分身だと思うようになって、
しかもモンスターと闘えば、どんどん強くなると。
それに、さっきはすごく苦戦したのに、
すぐにカンタンに倒せるようになったりとか。 - 岩田
- あれもうれしいですよね。
成長の実感が感じられて。 - 堀井
- それで勝つと、お金がもらえて、
そのお金で武器を買おうと。
武器を買うと、さらにもっと強くなって、
町の人たちからほめてもらえるようになると。
そうやって、どんどんハマっていったと思うんです。 - 岩田
- そういう成長の感覚を、初めて味わった人たちが、
次々と“先生”や“宣教師”になって
どんどん広めていったということなんでしょうね。 - すぎやま
- 宣教師になったもんね、僕も(笑)。
- 堀井
- あの当時は確かに、
いろんな著名な人たちも宣教師になってくれたんですよね。 - 岩田
- そうですよね。いろんな分野のいろんな方が、
ドボッとハマって、いろんな場所で、
『ドラクエ』の面白さを熱く語ってましたからね。
ちなみに、すぎやま先生のゲームでのお仕事は、
『ドラゴンクエスト』が最初なんですか? - すぎやま
- ファミコンソフトは『ドラクエ』が最初だったんですけど
その前に1本ありましてね。
『ウイングマン2』(※11)という
当時、エニックス(※12)から出たソフトで。 - 岩田
- パソコン用のソフトだったんですね。
- すぎやま
- そうなんです。
そもそものキッカケは、『森田将棋』(※13)という
パソコンソフトを遊んで、
それに入ってたアンケートはがきを書いて送ったら、
千田さんたちの目にとまって、電話がかかってきたんですよ。 - 岩田
- アンケートはがきを書いたことが
ゲーム音楽をつくるキッカケだったんですか? - すぎやま
- そうなんです。
- 岩田
- なんとアナログな、なんとすばらしいご縁(笑)。
『ウイングマン2』=1986年に発売されたパソコン用ゲーム。原作は少年ジャンプに連載していたコミック。
エニックス=1975年設立。『ドラゴンクエスト』シリーズなどを発売し、2003年にスクウェアと合併し、スクウェア・エニックスとなる。
『森田将棋』=森田和郎氏が開発した将棋ソフト。パソコン用ソフトのほか、家庭用ゲーム機でも多数発売されている。
- すぎやま
- (笑)。そのアンケートはがきには
「終盤は強いけど、序盤の駒組みがイマイチ」みたいに、
ちょっと生意気なことを書いて、
そのままほったらかしにしておいたんです。
そしたら、たまたまうちのカミさんが
それを見つけて、買い物に行く途中に
ポストに放り込んだみたいなんです。 - 堀井
- 最初、そのはがきを見た千田さんたちは
小学生からのアンケートだと思ったそうですよ。
名前が全部ひらがなだったので(笑)。 - 一同
- (笑)
- すぎやま
- だからなのか、電話をかけてきたとき
「ひょっとして作曲家のすぎやまさんですか?」と
確認してきましたね(笑)。
それで「ゲームの音楽をやってみませんか?」と。
もうそこは、将棋で言うと“ノータイム”(笑)。
「やるやる」と即答しちゃったんです。
そのあと、新宿の場所を指定されて行ったんですけど、
当時のエニックスはとてもちっちゃな建物でして。 - 岩田
- 当時のエニックスさんは、
パソコンのビジネスをはじめて間もない頃でしたしね。 - すぎやま
- そうなんです。
それで、『ウイングマン2』という
パソコンゲームの音楽をやった後、
何日かたってから
「実は『ドラゴンクエスト』という新しいゲームが出るので、
音楽をやってほしい」と言われて。
それが最初なんです。 - 岩田
- 当時のファミリーコンピュータは
音源の数がとても少なくて、
出せる音の種類の幅も狭かったんですよね。 - すぎやま
- ノイズ音を除いて、3(スリー)トラックでしたから。
- 岩田
- そういった、
とても限られた音しか出せないということは
すぎやま先生がふだん関わっておられる音楽と
ぜんぜん制約の程度が違いますよね。 - すぎやま
- あの当時、いろんなゲームメーカーが
作曲家に音楽を頼むようなこともあったようなんです。
ところが「3トラックで音楽ができるわけないよ」と
断られる例がほとんどだったみたいなんです。 - 岩田
- 一方で、ゲームをつくってる側にも
遠慮があったかもしれないですね。
ファミコンの序盤の頃は、
音楽を専門にやってきた方にアプローチするのは
まだ早いんじゃないかと。 - すぎやま
- そうですね。遠慮してたかもしれないし、
実際に頼んでみたら断られるし。
ちょうど20年前、あの頃のポップスの世界では、
「サウンド勝負」と言われていたんですよ。
ギターでどういう音を出すかとか、
エレキでどういう音を出すかとかね。
でも、ファミコンの音源だと
サウンドで勝負することができないんです。
もうメロディでしか勝負できないと。 - 岩田
- そもそも音質が選べないわけですから。
- すぎやま
- でも僕には、面白かったんですね。
3トラック目は、
サウンドエフェクトに取っておきたいから、
2(ツー)トラックで音楽をつくってほしいと言われたんですが、
そういうことがある種のパズルに挑戦するような感じで。 - 岩田
- 先生が「面白かった」と
そのような姿勢で向き合ってくれたからこそ
先生のつくった音楽が、
みんなの記憶に残るものになったと思うんですね。
『ドラクエ』のテーマ曲はもちろん、
復活の呪文(※14)の曲もそうですしね。
そもそも復活の呪文を打ち込むのは、
言っちゃあなんですけど面倒くさいわけですよ(笑)。
で、ときどきメモを微妙に間違えたりして
不幸な事故が起こる場所でもあったんですけど、
そこで流れていた復活の呪文の曲は、
あのストレスフルな場所には
おそらく最高の曲なんですよね。
- すぎやま
- あははは(笑)。
復活の呪文=ファミコンのカセットにバッテリーバックアップが搭載されていない時代、『ドラゴンクエスト』のIとIIで採用された、パスワードによるセーブシステムのこと。
- 岩田
- ものすごく心のなかに残ってるんです。
あそこでつきあった面倒な時間も含めて、
心地よい記憶のなかにあるような・・・。 - すぎやま
- でも、別の意味で復活の呪文は苦労しましたねえ。
初代の『ドラクエ』は17文字だからよかったけど。 - 岩田
- 『II』はすごく長かったですよね(笑)。
- すぎやま
- 50文字以上もありましたからね。
- 堀井
- ストーリーが進むと
徐々に長くなっていくんですね。
最終的には52文字になって。 - すぎやま
- だから僕、しまいには、
テレビ画面をプリントアウトできる機械を
わざわざ買ったんです。 - 一同
- (笑)
- すぎやま
- なにせ52文字だから、
プリントアウトしてとっておかなきゃと。
その機械のおかげで「ね」と「わ」の間違いとか、
全部克服できました(笑)。