『PUNCH-OUT!!』
4. ゴルフの景品として登場
- 岩田
- いつまでも商品の紹介ができないのも何ですので・・・。
- 宮本
- 僕は今日、昔の話をしゃべりたくて来ました(笑)。
- 一同
- (笑)
- 岩田
- とても興味深い話がいっぱいで、
もっと訊きたいところなんですけど、
そろそろファミコン版の話に入りましょうか。
こうして生まれた『パンチアウト!!』は、
どういう経緯でファミコンや
スーパーファミコンで出ることになったのか、
和田さん、ちょっと教えてください。 - 和田
- わたしが任天堂に入社してすぐくらいに、
ファミコンの『パンチアウト!!』をつくることになりました。
それまでは、開発三部には専属のデザイナーがいなかったんですけど、
わたしが初めてデザイナーとして配属されたんです。
で、そのときも竹田さんがメインで絵を描いておられて。 - 岩田
- ファミコン版も(笑)。
- 和田
- それで、ひよっ子のわたしには、
なかなか触らせてくれなかったんです。
- 一同
- (笑)
- 和田
- ファミコンはとくにメモリの制限が厳しかったですから、
絵をパーツ分けして反転させたりだとか、
部分的にパーツを呼び込むようなことをしていたんですけど、
そこで描かれた絵を見たら、
どう見てもおかしなプロポーションだったんです。 - 竹田
- (笑)
- 和田
- ただ、実際に動かしてみると、
それらしい動きになるんです。
「ああ、テレビゲームはこうやってつくられるんだ」と
そんなふうに感心しながらも、
早く触りたいと・・・。 - 岩田
- 触りたくて、腕がうずうずしてるのに
なかなか触らせてもらえなかったんですね(笑)。 - 和田
- 触らせてもらえないんです、はい。
- 宮本
- デザイナーで入ってるのに(笑)。
- 竹田
- 当時はまだ1年目だったし。
- 岩田
- 和田さんは何年入社なんですか?
- 和田
- 86年です。
- 田邊
- 僕と同期なんです。
- 岩田
- 田邊さんと同期だったんですね。
- 田邊
- だから、ツールがなかなか触れなくて、
和田くんがぼやいていたのを、よく覚えています。
- 岩田
- あははは(笑)。
- 和田
- で、せっかくの機会だから
ぜひ言っておきたいことがありまして。
『パンチアウト!!』には、
パンチを出すと効果的なタイミングが
ヒントとしていろいろちりばめられてるゲームなんですけど、
ファミコン版のときもボールド・ブルという、
大きいボクサーが突進してくるときに、
観客席の右のほうにピカッとフラッシュがたかれるんですね。
そのタイミングで打つと、ボディが決まるんです。 - 田邊
- え、そうやったの?
- 和田
- たぶんこの話は22年間、知られないまま・・・。
- 一同
- (笑)
- 和田
- いつ発表するのかなと思ってきたんですけど・・・。
- 岩田
- 発表されるのを待ち続けて22年(笑)。
- 和田
- この場になってしまったと(笑)。
ファミコン版にはそういう隠し要素が
たくさん入っていたんです。 - 岩田
- それで、和田さんは
いつ頃から触らせてもらえるようになったんですか? - 和田
- たとえば試合がはじまる前に、
対戦相手の紹介で、わりと大きな顔が表示されて・・・。 - 岩田
- 止めの顔ですね。
- 和田
- そういう絵を描くことを
やらせてもらえるようになりました。
それに、ファミコン版から
レフリーがマリオになったんですけど、
実は僕が勝手に描いたんです。
ファミコン版『パンチアウト!!』
- 岩田
- 大らかな時代だったんですね(笑)。
- 宮本
- 当時はマリオの絵の確認という仕組みがなかったので、
僕のチェックも素通りで(笑)。 - 和田
- だからちょっとおかしなマリオなんです。
- 岩田
- (笑)
- 和田
- でも、そこまでがんばったのに
ゴルフの景品だったんですよ。 - 岩田
- ゴルフの景品?
- 和田
- アメリカではパッケージでちゃんと発売されたのに
日本では「第2回 ファミリーコンピュータ ゴルフトーナメント」(※14)の
景品でした。 - 岩田
- そのトーナメントで使用した『ゴルフUSコース』は
わたしがつくったんですよ。
「第2回 ファミリーコンピュータ ゴルフトーナメント」=1987年6月に発売したファミコンディスクシステム用ゴルフゲーム『ゴルフUSコース』を使用したユーザー参加型ゴルフトーナメント。
- 和田
- そうでした。
で、その景品カセットの色はゴールドで、
豪華だったんですけど、
やっぱり非売品でしたので・・・。
ファミコン版『パンチアウト!!』景品カセット
- 宮本
- でも、いざ景品で出してみたら
「欲しい」という声がたくさん寄せられたんですよね。 - 和田
- そこで、1年を待たずして
一般販売されることになったんです。 - 岩田
- その後に、スーパーファミコン版が出て・・・。
- 和田
- ファミコン版から11年後の、
1998年の発売ですね。
スーパーファミコン版『スーパーパンチアウト!!』
- 岩田
- その頃は、さすがに竹田さんも
自ら手を動かしてなかったんでしょうね? - 和田
- さすがにその頃は(笑)。
竹田さんが開発に関わった
NINTENDO64もすでに発売されてましたしね。 - 岩田
- 業務用とスーパーファミコン版は
わりと近い内容だったんですか?
それとも、もっと家庭用ならではの要素があったんですか? - 和田
- ほとんど変えてないです。
- 竹田
- ただ、新しいキャラクターがたくさん入っていたから、
そういう意味ではけっこう大変だったと思いますね。 - 和田
- 先ほど、岩田さんが
プロレスじゃないんだからという話をしてましたけど
もともと業務用の『スーパーパンチアウト!!』が
色物的なものがたくさん出てくるゲームでしたので、
その流れを汲んで、おかしな人たちをいっぱい出しました。
たとえば、ピエロの格好をした対戦相手が
玉を投げてきたりとか(笑)。
- 岩田
- そういったキャラクターは
和田さんが全部考えてつくったんですか? - 和田
- もうその頃には
デザインスタッフも何人か入ってましたので
その人たちといっしょに考えました。
でも、このときも日本版は書きかえソフトだったんです。 - 岩田
- ああ、ニンテンドウパワー(※15)ですね。
- 和田
- だから、パッケージでは発売されなかったんです。
- 宮本
- また、そういう扱いされて。
- 一同
- (笑)
ニンテンドウパワー=ローソンに置かれた端末(ロッピー)および任天堂のサービスセンターで実施された、スーパーファミコンとゲームボーイ専用ソフトの書き換えサービス。1997年にスタートし、2007年にサービス終了。