『Wii Fit Plus』
Vol.1 独立行政法人 国立健康・栄養研究所 宮地元彦先生 篇
- 岩田
- 今日はわざわざ京都までご足労いただき
ありがとうございます。 - 宮地
- こちらこそありがとうございます。
- 岩田
- 今回、国立健康・栄養研究所(※1)の宮地先生には
『Wii Fit Plus』のアドバイザーというかたちで
ご協力いただきました。 - 宮地
- はい。
僕が関わらせていただいたのは開発の後半なんですが、
『Wii Fit Plus』を実際にプレイして
それぞれのトレーニングの運動強度(※2)を測定して
消費カロリーがわかるようにしたり、
運動の組み合わせに関するアドバイスも
いろいろさせていただきました。
国立健康・栄養研究所=1920年(大正9年)に内務省の栄養研究所として誕生した独立行政法人。
運動中または運動直後の心拍数の、最大心拍数に対する割合。運動する本人の身体能力を基準として数値で表現している。
- 岩田
- そのあたりのお話は
後ほどじっくりお訊きすることにして、
宮地先生は、これまでどんなことをされてきて
どうしていまのような研究をされるに至ったか、
まず、そういうお話からお訊かせいただけますか。 - 宮地
- はい。
わたしはもともと、鹿屋体育大学(※3)という
国立で唯一の体育大学の出身です。
高校生のとき、体育教師になりたいと思いまして、
この大学を受験することにしたのですが
それが創立された年のことだったんですね。 - 岩田
- つまり1期生。
鹿屋体育大学=鹿児島県鹿屋(かのや)市に本部を置く、国立の体育大学。1981年創立。
- 宮地
- ええ。だから、先生方の情熱がすごいんです。
僕らに過剰なまでの教育をしてくれまして。 - 岩田
- 情熱的な教育を受けるというのは
すごく恵まれていたと言える一方で、
体育教師になるという夢じゃない方向に
宮地先生が導かれたとも言えるんですね(笑)。 - 宮地
- そうなんです(笑)。
勉強を一生懸命やるハメになりまして。
わたしはラグビーの選手だったんですけど、
ラグビーと自分の研究を両立させていくうちに
運動の研究がとても面白いと思うようになったんです。
- 岩田
- ちなみに、先生がラグビーの現役だった時代、
トレーニングとかスポーツの世界は
どれくらいが科学で、どれくらいが精神論でしたか? - 宮地
- と、おっしゃいますと?(笑)
- 岩田
- 実はわたし、高校生の頃に
バレーボールを熱心にやってた時期があったんです。
あの時代の運動部というのは、
基本的には根性の世界だったと思ってまして。 - 宮地
- 練習中は水を飲んではいけないとか。
- 岩田
- ええ、そのとおりです(笑)。
- 宮地
- そんな時代もありましたよね。
でも、僕らがちょうど大学に入る、1980年代から
いわゆるスポーツ科学というものが
現場に必須という雰囲気になってきました。 - 岩田
- なるほど。
- 宮地
- それも僕にとってはよかったのかもしれません。
大学に入ってからは
スポーツ科学をもとにしたトレーニングだとかに
触れる機会があって、
運動もけっこうサイエンス的で
理屈で通ってることがわかりましたから。
で、そういう経験を積み重ねていくうちに
大学院に進み、トレーニングをしたら
人のカラダがどう変わるのかということを
対象にした研究をはじめました。
修士課程が終わってから、岡山にある川崎医療福祉大学(※4)・・・
そこはもともと川崎医科大学という
医学系の大学だったんですけど
健康体育学科という学科をつくることになり、
そこにこれまた1期生として・・・。 - 岩田
- 1期生つながり(笑)。
- 宮地
- はい(笑)。
そのときは教える立場に変わったのですが。
川崎医療福祉大学=岡山県倉敷市に本部を置く、私立の医療福祉大学。1991年創立。
- 岩田
- その大学には何年いらしたんですか?
- 宮地
- 14年です。
その間、教鞭をとりながら自分の研究も続けて、
いまから6年前に東京の国立健康・栄養研究所に
勤めることになりました。 - 岩田
- 国立健康・栄養研究所というのは
かんたんに言うとどんな組織なんですか? - 宮地
- 厚生労働省所轄の研究所です。
そこでは、国民の健康づくりのために、
運動や食生活をどうしたらいいのかということについて
研究しています。 - 岩田
- そこでの宮地先生の研究のミッションは
どんなことなんですか? - 宮地
- 僕は健康・栄養研究所で
運動ガイドラインプロジェクトリーダーという役を
拝命していまして、
「国民の健康づくりの運動の指針を構築する」
というのが僕のミッションです。
ただ、僕自身がそのテーマで、独自に研究すればいいのではなく、
世界中にある研究をすべて集めて、分析して
誰にとっても役に立つものにまとめると・・・。 - 岩田
- そうやって、世界中から文献や論文を集めつつ
先生ご自身も研究し、
日本人にとって、誰にもおすすめできるような
運動のガイドラインをつくることがミッションなんですね。
- 宮地
- はい。ただ、最大公約数なので、
100パーセントおすすめできるようなものには
なかなかならないんですが。 - 岩田
- でも、それをつくることで
国民の健康増進のためにはプラスになると。 - 宮地
- そうです。
- 岩田
- ただ、日本中の大人たちは
誰もが運動したほうがいいということは
頭ではわかっていても、なかなかできない
というところはありますよね(笑)。 - 宮地
- ええ、なかなかできないんです(笑)。
- 岩田
- ちなみに運動を習慣としている人は
何パーセントくらいいらっしゃるんですか? - 宮地
- 運動習慣の定義というのはなかなか難しいんですが、
ひとつの基準としては、1週間あたりほぼ1時間、
言い換えると、30分を週に2回くらい
軽く汗をかくようなことをやってる人を
「習慣者」と定義しましょうと。 - 岩田
- じゃあ、わたしは合格だ。よかった(笑)。
- 宮地
- (笑)。そういう人は、
だいたい35〜40パーセントくらいなんです。
逆に言うと、おおむね日本人の6〜7割程度の人は
運動を習慣にしていないということなんです。 - 岩田
- なるほど。
- 宮地
- さらにもうひとつ、
1日あたりの歩数で評価する基準もあります。
わかりやすく言いますと、1万歩以上歩いているかどうかと。 - 岩田
- 「1日1万歩」とよく言われますね。
- 宮地
- はい。
毎日1万歩を歩いてる人は
「活発」だと言われるんですけど、
そこに到達するような人は、
おそらく20パーセントくらいなんです。 - 岩田
- 歩き回るのがお仕事の人は、
1万歩に到達するのは比較的容易なんでしょうけど、
通勤してデスクワークだけの人が1万歩というのは、
意識してやらないと絶対に不可能ですよね。 - 宮地
- そうなんです。
実際に、いまの日本人の平均の歩数を調べてみると
男性が7000歩ちょっとくらい、
女性が6000歩ちょっとくらいですから、
1万歩にはぜんぜん足りないんです。
だから、日本人も
だんだん不活動な状態になってきてるんです。
- 岩田
- 昔はもっと活動していたのに、
ある意味、社会がちょっと便利になりすぎて、
そういう傾向にあるということなんですか? - 宮地
- はい。
いまから10年前がひとつのターニングポイントだったんです。
10年前は男性が8000歩、女性が7000歩くらいで、
いまと比べるとちょうど1000歩ずつくらい多かったんですね。 - 岩田
- へえ〜。
- 宮地
- それが10年前から急に下がりはじめまして、
毎年のように平均歩数が下がってきてるんです。
ところが、余暇の時間を使って
テニスをしたり、フィットネスクラブに通ったり、
あるいは『Wii Fit』もそうなんですけど、
運動を習慣にする人の数はじわじわと増えてるんです。
でも、毎日歩くような日常生活での運動は
毎年のようにどんどん減ってきてるんですね。 - 岩田
- それはやっぱり世の中が便利になったり、
生活のスタイルが変わったりしたからですか? - 宮地
- ひとつはITの発展ですね。
- 岩田
- 1日中、パソコンに向かったり。
- 宮地
- 買い物に行かなくても
インターネットでショッピングもできるようになりましたし。
あと、不採算の線路やバスが廃止になって、
地方に行けば行くほどクルマの所有率が増えていって、
アメリカ的なモータリゼーションが確立してしまったと。
でもいちばん大きいのは週休二日制が確立したということですね。 - 岩田
- いちばん大きいのは週休二日制・・・。
それは意外です。 - 宮地
- 労働者にとってはいいことなんですけど、
僕らが若い頃は半ドンと呼んで、
土曜日も1時まで必ず働いていましたけど、
いまはそれもなくなったと。 - 岩田
- 学校も週休二日の時代ですからね。
- 宮地
- ええ。なので、そういった3つのことが重なって、
とくに10年ほど前からドドドッとそういう現状に・・・。 - 岩田
- なるほど。それをそのまま放っておくと、
生活習慣病のリスクが高くなったり・・・。 - 宮地
- とくに肥満ですね。
- 岩田
- 国民の健康状態にとっては
ちょっとよろしくない、という危機感を
先生はお持ちなんですね。 - 宮地
- 危機感をものすごく強く持ってます。
だから、僕のミッションは
運動のガイドラインをつくるだけではなく
日本人の活動量を増やしていくというのが、
わたしが死ぬまでにというか・・・。 - 岩田
- ライフワークなんですね。
- 宮地
- ええ。少なくとも定年するまでは、
僕の最大のミッションだと考えています。