『NHK紅白クイズ合戦』
鈴木健二さん 篇
- 鈴木
- わたくしは英語の辞書を引くときでも、
英和辞典の両方のページを、
習ってない単語まで読むわけです。
そういうことを長年続けてきましたから、
辞書を引くさいに、パッとめくると、
だいたい自分の引きたいものが出てくるんです。
いかにして、求める資料に速く到着するかということが、
わたくしたちの仕事ではとくに大事なんですね。 - 岩田
- コンピュータやインターネットがない時代から、
「知」に速くたどりつくためのワザを、
“職人”としてマスターされていたんですね。 - 鈴木
- 要するに「調べる」ことは大事なんです。
- 岩田
- しかも、自分で調べているから強いですよね。
- 鈴木
- はい。
- 岩田
- 人が調べてきたものを見るんじゃなくって。
- 鈴木
- ですから、「人からもらった資料は、
事実の半分しか物語っていない。
あとの半分は、自分で調べる」ということを
自分のテーマにしてきました。 - 岩田
- なるほど。
- 鈴木
- それにメモもとりません。
メモはいっさい持っていないんです。
だから資料は何にも残っていないんですね。 - 岩田
- その「メモをとらない」ということも含めて、
伝説ができていますよね。
しかも、その方法を続けられることで、
あらゆる記憶と興味が立体的になると思うんですね。 - 鈴木
- そうです。
- 岩田
- それは、一方向の知識だけではなくて、
最初に読んだときはさっぱりわからなかったことも、
別のときに、「あれは、ああいうことだったのか」ということが
どんどんわかっていって、しかもつながっていって、
ネットワーク化された立体的な知識になっていくんですね。 - 鈴木
- そういうことです。
- 岩田
- それが鈴木さんの強みなんですね。
- 鈴木
- わたくしは、そもそも記憶力というのは、
生きていくうえでの
ひとつの“ロマン”だと思ってるんです。
単に、ものを覚えたりだとか
その場限りの技術だとかではなく、
どうやって生きていくかという
“ロマン”だと思ってるんです。
ですから、人とおつきあいしましても、
相手の方のいいところばっかり見るんですね。
悪いところは捨ててしまおうという。
そうやって、これはいいと思うことは
自分のなかに入れるようにしているんです。
- 岩田
- はい。
- 鈴木
- それが自分を束縛するときもあります。
ですからわたくし、NHKにいる間、実際のところ、
今日辞めようか、明日辞めようかと思っていたんです。
向いてないんです、自分に。 - 岩田
- 向いてないんですか?
- 鈴木
- (笑)
- 岩田
- 「向いてない」と言われると、
世の中の大多数の方が絶句されると思うんですけど(笑)。
「天職ではないんですか?」と、
みなさんいま、一斉に思ってますよ。 - 鈴木
- いえいえ。
わたくしね、いまだから言いますけども、
生来の虚弱児でございましてね。 - 岩田
- 鈴木さんが虚弱児・・・?
- 鈴木
- はい。
自分では何もできない子どもで、
小学5年生まで、自分で服を着られなかったんですよ。 - 岩田
- それくらいお体が弱かったんですか。
- 鈴木
- いまでも左の耳の後ろに
大きなキズが残っているんですが、
小学1年生のときに、ひどい中耳炎の手術をしましてね。
「この坊やは手術が成功しても、小学校を出たときに、
電報が読める程度までしか回復しないかもしれない」と言われたことを
いまでもよく覚えてるんですよ。 - 岩田
- はい。
- 鈴木
- それくらいひどい手術をしたんです。
それがあったので、運動はぜんぜんできませんでした。
だから、小学校でいちばん嫌いだったのは運動会でした。
前の晩はもう雨乞いをしていました。 - 岩田
- ・・・。
- 鈴木
- で、6年間、かけっこして全部ビリです。
そのビリもですね、ふつうのビリじゃないんですよ。
わたくしには兄がひとりいるんですが・・・。 - 岩田
- 映画監督の鈴木清順さん(※5)ですね。
- 鈴木
- はい、その兄は、
東京の学童陸上十傑、水上十傑に入るくらいで。 - 岩田
- スポーツ万能でいらしたんですね。
鈴木清順さん=監督として、数々の映画賞を受賞した「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)のほか、劇場アニメ「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」(1985年)など、多くの映画を手がけた。
- 鈴木
- だから、運動会で兄が走ると、「がんばれー!」と、
みんな立ち上がって声援をおくっていたことを、
わたくしはまだ覚えているんですね。
で、今度は弟です。よーい、ドンで走るでしょう。
それで、みんな立ち上がるのは兄といっしょなんですよ。
「がんばれー!」というのも同じなんです。
だけど、そのあとにひとことつくんです。
「歩いてたらダメよー!」と。
わたくしは一生懸命、肩で風切って走っているつもりなんです。
でも、見てる人からすると、
歩いてるようにしか見えなかったんですね。
そのくらいダメだったんです。
で、小学校を出るときに、謝恩会で、
先生が生徒ひとりひとりに思い出を語られたんですね。
それがもう、爆笑の連続で。
それでわたくしの順番がきたとき、先生が少し考えて、
「お前についてはぜんぜん思い出がないな」と言われたんです。 - 岩田
- ・・・。
- 鈴木
- いい学校か、悪い学校かというのはですね、
偏差値が高いとか、進学率がいいとか、
そんなものじゃないんです。
その子にとって、いちばん良い思い出をつくれた学校が、
いい学校なんです。
以前、松下幸之助さん(※6)にお会いして、
「どうして後継者をつくらないんですか?」と訊いたとき、
「どういう社員を見ていったらいいでしょうかね」と
訊き返されたことがあるんです。
そこで、わたくしが言ったのは
「忘年会とかレクリエーションで、みんなに推されて幹事になる人。
そんな人を見ていたらいいですよ」と。 - 岩田
- はい。
松下幸之助さん=丁稚から身を起こし、「経営の神様」とも呼ばれた、松下電器産業株式会社(現パナソニック)の創業者。1989年没。
- 鈴木
- 「必ずしもエリート社員じゃないんですよ。
だけど人望があります。
会社にとってはひじょうに重要な要素です、人望は。
そういう社員を見ていたらいいんですよ」
と話したことがありましたけどね。
たとえば学校を卒業したあとに
クラス会とか同窓会の幹事をやる人がいますね。
あの人たち、必ずしも学校で
成績が優秀だったとは限らないんですよ。
だけど、彼や彼女は、
その学校に楽しい思い出を持っているんですよね。
だから「あの学校のために」という気持ちになるんですね。
ところがわたくしは「思い出がない」なんて言われて・・・。
その先生は6年間担任してくださったんですよ。 - 岩田
- それはたぶん、きつく怒られるよりも
とてもしんどいことですよね。 - 鈴木
- ですから、わたくし、
その日はショックで寝られなかったんです。
それで、それは自分の体が弱いせいなんだと思ったんです。 - 岩田
- お体が弱かった鈴木さんが、
人一倍大きな声量で、
人を元気にする仕事ができるようなった
きっかけは何だったのですか? - 鈴木
- これではダメだと思いまして、
旧制中学に進んでから水泳部に入ったんです。
そのとき生まれて初めてプールのなかに入りました。
それまでは先生も親も、水にも入れてくれなかったんです。 - 岩田
- お体が弱いからですね。
- 鈴木
- はい、それで中学1年で初めてプールに入って、
横になったら・・・浮いたんですよ。
それで手足を動かすと、前に進んだんです。
「ああ、自分にも運動神経がある!」と。
その感動はいまでも忘れません。
ですから、わたくしの言葉のひとつに
「感動なしには、人生はありえない」というのが、
ひとつのテーマなのです。