『GO VACATION』
3. ひるまない、たじろがない
- 岩田
- 一方で、普通はこういう終わりの見えづらい大作をつくると、
チームの人たちがだんだん疲れてくるケースがあるんですが、
『GO VACATION』に関しては勢いが衰えることなく
夢中でつくられた感じがするんです。
そうでなければ、この物量は2年半で終わりませんし。
それができたのはどうしてだと思いますか? - 小林
- やっぱり、外部の制作会社のみなさんが関わったことが大きいですね。
社内メンバーだけでつくっていると、
じっくり環境を整えたり、検証してからスタートするので、
最初の絵が出てくるまでかなり時間がかかることが多いんです。 - 岩田
- ラストスパートが得意な
『リッジレーサー』チームですもんね。 - 小林
- はい(笑)。
でも今回、4社と一緒につくっているということもあり、
各社さん、ものすごい早さで試作を見せてくれたりして・・・。 - 岩田
- ああ、見た目の変化がどんどん起こることで、
刺激を受け合ったんですね。
しかも、外部のチームがいたので、
いい意味で競争になった、ということですね。 - 小林
- はい、チームにとっていい刺激になりました。
それが定期的に2年半、ずっとつづいたことが、
モチベーションを落とさずにいられた秘訣だと思います。 - 岩田
- 坂上さんはより広い範囲のプロジェクトを
ご覧だと思いますが、どう思いますか? - 坂上
- 正直、出だしは「むちゃくちゃだなぁ」と
思っていたんですが(笑)。 - 一同
- (笑)
- 坂上
- チームの結束力がすごく強かったんです。
企画もプログラマーもビジュアル担当も、
みんなでいかにフォローし合うかという
ホスピタリティが、チームの中に根づいていて。
誰が「こうしてくれ」と言わなくても
助け合えるチームだったからこそ、
やりつづけられたのかなと思います。
それから、最初に「1年半でつくります」と宣言したことも
ちょうどよかったかもしれないですね(笑)。
「みんなでなんとかしよう!」
という空気が流れていましたから。
- 小林
- でも、1年半だと、やはりきびしかったですね・・・。
ただ、はじめから2年半かかるってわかっていたら
企画も通らないでしょうし、そもそも起案しません(笑)。 - 坂上
- まあ、今回は、その宣言がいい方向に転じたと思います。
- 岩田
- すごいものができたと思うんですけど、
小林さんは今後のハードルをあげたなとも感じています。
まあちょっとちがう表現をすると、
「罪作り」なことをしました。 - 一同
- (笑)
- 岩田
- でもそれは、お客さんにとっては大満足なことなんです。
1本あれば家族がオールシーズン、
いろいろなゲームを楽しめるし、
1年中、リゾート気分を満喫できますから。 - 坂上
- 当初の目標をかなえるようなソフトには
なったのかなと思っています。
今回の苦労は、今後、非常に役立つと思います。
・・・って、苦労話になっちゃいました(笑)。 - 岩田
- まあまあ(笑)、
今回は「誰でも遊べるオールシーズン」を
目指したつくり方でしたが、
今作はひとつのつくり方の方向性として、
究極を極めたものになったのかな、
という印象を受けました。 - 小林
- ありがとうございます。
- 岩田
- ところで、前回は坂上さんのバックボーンをうかがいましたが、
小林さんのバックボーンを訊いてもいいですか?
コンピューターやゲームとの出会いはいつごろでしたか?
- 小林
- ゲームとの出会いは小学校1年生ぐらいです。
小学校の同級生の自宅にインベーダー(※6)の
筐体がありまして・・・。
インベーダー=『スペースインベーダー』。1978年に登場し、一世を風靡したアーケードゲーム。
- 岩田
- 自宅にあったんですか?
- 小林
- はい。そのころインベーダーが大ブームで、
友人の家で夢中になって遊びました。
そのあと小学5年生のとき、
ファミコンが発売されまして。
誕生日にねだって買ってもらって・・・、
本当に物心がついてからずっとそばにゲームがある環境でした。 - 岩田
- じゃあ、成長過程にゲームはあって、
すごく好きだったんですね。 - 小林
- はい。大学在学中はデバッグのアルバイトもしましたし、
もともとクリエイティブな仕事をしてみたいという
願望は漠然とあって、ですから就職活動のときには、
いちばん身近で、いちばん魅力的だったゲームの開発に関わりたいなと
自然と思うようになっていました。 - 岩田
- 小林さん、ご専門は何だったんですか?
- 小林
- 経営工学で、一応理系専攻だったんですが、
とくにプログラムを専門に勉強したわけではありませんでした。
絵心もないし、消去法で企画職しかなかったんです。
みなさんそうだと思うんですが、
根拠のない自信だけは満ち溢れてました(笑)。
それで当時、ナムコ(※7)に新卒で応募したんですけれども、
最終面接で落ちてしまいまして。
それで路頭に迷った挙句に小さなゲーム開発会社に入社しました。
ナムコ(現バンダイナムコゲームス)=1955年に設立されたゲームソフトの開発やアミューズメント施設の運営などを行う会社。2006年に株式会社バンダイとゲーム部門を統合し、株式会社バンダイナムコゲームスとして再スタートを切った。
- 岩田
- じゃあ、最初からナムコさんに入られたんじゃないんですね。
- 小林
- はい、ちがいます。
わたしが入社した会社は、
その年からゲーム開発部門を立ち上げようとしていて、
上司は部長1人、開発スタッフは全員新卒、
企画はわたしだけで、プログラムは2人で、デザイナーは1人、
という不安な体制の会社でした。
で、「何かつくりなさい」と。 - 岩田
- え?「何かつくりなさい」なんですか?
それはすごいですねぇ(笑)。 - 小林
- 毎日、企画書を書いたんですが全然成果がでなくて、
営業のサポートにまわったりもしました。
ようやく、入社して最初の夏ぐらいに、
プレイステーションのゲーム開発に
関わることができたんです。
そのときちょうどスノーボードにハマっていまして・・・。 - 岩田
- ああ、ちゃんとつながっているんですね。
- 坂上
- 一応、そこはね、つながっているんです。
- 小林
- はい。だからスノーボードのゲームをつくろうと。
そのころ、ちょうど坂上さんがつくった
『リッジレーサー』が出ていて、必死に研究しました(笑)。
レースゲームのスピード感に
スノーボードのトリックの要素を入れれば、
いままでとちがったアクションレースゲームとして
まとめられるかな、と思って企画を立ち上げたんです。
それがはじめてつくったソフトでした。
その作品をプレイした知人からは好評だったんですが、
「レースばかりじゃなく、本当にリゾートに行って
ゲレンデで楽しむような
スキーやスノーボードのゲームがあってもいいよね」
という意見をもらっていました。 - 岩田
- あれ? つい先ほど、訊いたような話です(笑)。
- 小林
- ただ、そのときは十字ボタンのインターフェイスでは、
本物のゲレンデのような斜度のゆるいスロープを低速ですべっても
全然刺激がないし、ゲームにはならないと思っていました。 - 岩田
- 昔の自分の中では、一度否定していたんですね。
- 小林
- はい。ただその記憶は頭の片隅にずっとあって、
Wiiというインターフェイスが登場したことで、
ずいぶんあとに『ファミリースキー』の企画につながることになります。
それで、前の会社でスノーボードのゲームを何作かつくったあと、
30歳を迎えるころに、
やっぱりゲームセンターのときからあこがれていたこともあって、
もう一度ナムコにリベンジ応募したところ、
タイミングよく採用してもらえた、という感じです。
ナムコ入社後は『リッジレーサー』のディレクターを数本担当しました。
- 岩田
- 大変な思いをされているけれど、
すごく得るものもあったでしょうね。 - 小林
- そうですね。
- 坂上
- そんな経験があってか知らないですけど、
(小林さんを見ながら)この人、
ひるまないし、たじろがないんです。 - 岩田
- 「キリがいいから50です」と
断言できた理由のナゾが、いま少し解けました。 - 坂上
- 本当はいろいろ考えているはずなんですけど、
出てくる言葉は「キリがいい」(笑)。 - 岩田
- それが妙にいさぎよく、ひるまず言える理由は、
そういう背景があったからなんですね。 - 坂上
- あー、そうだったのか。
- 小林
- そうでしょうか・・・(笑)。
- 岩田
- ・・・でも、誰かができるって信じないと、
ものはできないですからね。 - 坂上
- 本当にそのとおりですね。
- 岩田
- 最初からできるとわかっているゲームなんてないからこそ、
つくることが面白いわけですから。
毎回、「誰かができる!」って強く信じているから、
結果的にここに行き着いたんですよ。 - 小林
- はい。言葉にすると現実になりますよね。
そういう力が言葉にはあるのかなとは思います。 - 坂上
- 小林くんはいつも
「できます!!」って言いますから(笑)。 - 小林
- はい(笑)。