『New スーパーマリオブラザーズ Wii』
- 岩田
- ちなみに、宮本さん、手塚さん、中郷さんの
3人の黄金のトライアングルが誕生したのはいつからなんですか? - 中郷
- 『スーパーマリオブラザーズ』(※17)のときです。
先ほども言いましたけど、
手塚さんが新入社員として紹介されたのがいちばん最初で、
そのとき手塚さんは・・・。 - 手塚
- 僕は『デビルワールド』をつくっていて・・・。
- 中郷
- 僕は宮本さんと
『エキサイトバイク』をつくっていたんです。
『スーパーマリオブラザーズ』=1985年9月に、ファミコン用ソフトとして発売されたアクションゲーム。
- 岩田
- ということは、同じ時期に
手塚さんは宮本さんと『デビルワールド』をつくり、
中郷さんは宮本さんと『エキサイトバイク』をつくっていたんですね。 - 中郷
- 発売時期もほとんど同じでしたから。
- 手塚
- 『デビルワールド』が1984年の10月で・・・。
- 中郷
- 『エキサイトバイク』は11月でした。
で、『エキサイトバイク』は東京でつくってましたので、
宮本さんといっしょに出張することが多くて、
ホテルに2人で夜遅く泊まったりとかしてました。
当時はバブル景気のはじめの頃でしたから
ホテルがなかなかとれないこともあって、
2人でひとつのベッドに寝たこともありました(笑)。 - 岩田
- ひゃあ(笑)。
- 一同
- (笑)
- 中郷
- そんな感じで、『エキサイトバイク』をつくって、
そのあとに『スーパーマリオ』と『ゼルダ』(※18)の2本を
同時につくりはじめたんです。
- 岩田
- そうそう、2本同時だったんですよね。
このことは、世の中のゲームファンの方は
意外とご存じないことなんですけど、
実は最初の『スーパーマリオ』と『ゼルダ』は
同じスタッフで同時に並行してつくられていたんです。
今ではとても信じられないことですが(笑)。
『ゼルダ』=『ゼルダの伝説』。1986年2月に、ファミコンのディスクシステム用ソフトとして同時発売された、アクションアドベンチャーゲーム。
- 中郷
- たまにアイデアを入れ替えることもありまして。
たとえば『スーパーマリオ』に
ファイアバーがありますよね? - 岩田
- 城面に出てくる、
クッパに向かう通路で回る炎のバーですね。 - 中郷
- はい。あれは最初、
『ゼルダ』の画面の真ん中に出てたんです。 - 岩田
- ええーっ!?
- 中郷
- もともとは『ゼルダ』用のネタだったんです。
それを「こっちのほうがええよ」ということで、
『スーパーマリオ』に持っていったんです。
そう言ったのは宮本さんだったかな?
それとも手塚さん? - 手塚
- 宮本さんでしょう。
- 中郷
- そうやったかな?
- 岩田
- 手塚さんは、ただ忘れてるだけ、
ということも大いにありえますからね(笑)。 - 手塚
- ふふふ(笑)。
- 中郷
- でも、確かに『ゼルダ』に出ていたのは覚えてます。
- 岩田
- そもそも『スーパーマリオ』と『ゼルダ』は
どうやってはじまったんですか? - 手塚
- 『スーパーマリオ』のほうは
大型のキャラクターを使って、
陸・海・空を舞台にした
アスレチックゲームをつくりたい、というのが
最初の構想にありました。 - 岩田
- 最初は「でかいマリオを出すというのがテーマだった」と
聞いたことがあるんですが。 - 手塚
- はい。2人分の大きさのマリオを出そうと。
でも、最初からマリオを使うと決めてたかどうかは
あんまり覚えてないんですけど。 - 岩田
- 何とか思い出してください(笑)。
- 手塚
- 確か最初は・・・
16×32ドットの四角が動いていて・・・。 - 中郷
- 最初は、スクロールしない1画面で、
四角いものを動かしてたんです。 - 岩田
- へえ〜。最初は1画面で、
四角を動かすところからはじまったんですか。 - 中郷
- そうです。その当時、
四角から動かすというのは、実に画期的なことでした。
四角いものが、波打つような動きをして、
ただ、それだけの実験をSRDでやってたんです。 - 岩田
- それが『スーパーマリオ』のはじまりなんですか?
- 中郷
- はい。だからそのときは、
ジャンプもしていなかったと思います。 - 岩田
- その四角いものがどうしてマリオになったんですか?
- 手塚
- それは何となく覚えてます(笑)。
開発部署の隣が営業さんの部屋だったんですけど、
そこの部長さんがわりと気さくな方で、
いまではあまり考えられないんですけど、
売上データを見せてもらえたんです。 - 岩田
- そのときの手塚さんは
任天堂に入ったばっかりの新人のときですよね。 - 手塚
- ええ。まだ入社1年目でした。
- 岩田
- そんな新人が営業部長のところに行って、
売上データを見せてもらっていたんですか? - 手塚
- お昼休みとかにいろんなところに行って
他部署の人と話をすることが多くて、
そこで仲良くなったんです。
で、その部長さんに売上データを見せてもらうと、
ファミコンの『マリオブラザーズ』(※19)が
発売から1年以上もたってるのに、
ずっとコンスタントに売れてることがわかったんです。
『マリオブラザーズ』=アーケード版・ファミコン版、ともに1983年に発売されたアクションゲーム。
- 岩田
- そのデータを見て
手塚さんのアタマのなかに何かが閃いたんですね。 - 手塚
- ええ。「マリオはけっこう人気があるんやなあ」と思いました。
そこで宮本さんに「『マリオブラザーズ』は
ずっと売れてるんですね」という話をしたら、
「やっぱりマリオがよさそうやね」
ということを話していた記憶があります。 - 岩田
- 宮本さんは、前回の「社長が訊く」で、
マリオを「ミスター・ビデオ」と名付けて、
自分のつくるビデオゲームに
全部出したいという話をされていましたが、
当時はまだ、押しも押されもせぬ存在になってないから
何でもマリオを軸に考える方向ではなかったんですね。 - 手塚
- たぶんマリオを使うイメージはあったと思うんです。
でも、その売上データのことを聞いて
より確信を持ったのではないでしょうか。
- 岩田
- なるほど。
で、四角いものがマリオに代わったとき、
一方の、『ゼルダ』はどんな感じではじまったんですか? - 手塚
- 『ゼルダ』がどの時期からというのも
あまり覚えてないんですけど(笑)、
『ゼルダ』はダンジョンからつくりはじめました。 - 中郷
- いちばん最初は筐体で動かしてたんです。
先ほど、岩田さんが言われた・・・。 - 岩田
- VS.システムですね。
- 中郷
- そのVS.システムで動いてたのは覚えてます。
- 岩田
- じゃあ、最初から
ディスクシステム(※20)ではなかったんですね。
ディスクシステム=1986年2月に発売されたファミコンの周辺機器。正式名称は「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」。
- 中郷
- はい。で、いま手塚さんが話されたように
まずダンジョンの仕組みからつくりはじめまして、
画面に5つくらいの山があって
そのなかに入ると、ダンジョンがあるという、
それだけのシンプルなものだったんです。 - 岩田
- 最初はダンジョンだけを遊ぶゲームだったんですね。
- 中郷
- そうなんです。
でも開発の途中から
「やっぱり地上もあったほうがいいよね」
ということで、地上をあとからつくりはじめました。 - 手塚
- その段階では
『ゼルダ』のほうが制作ペースは早かったんです。
だから、『スーパーマリオ』より先に出るだろうと
思っていました。 - 岩田
- へえー・・・『ゼルダ』が先に出るかもしれなかったんですか。
それは知りませんでした。 - 手塚
- (笑)