『ゼノブレイド』
開発スタッフ篇
- 岩田
- 今日は、モノリスソフトさんと任天堂の
『ゼノブレイド』の開発スタッフのみなさんに
集まってもらいました。
モノリスソフトさんのおふたりには、
忙しい時期にもかかわらず、京都までご足労いただきました。
ありがとうございます。
今日は、モノリスソフトさんと任天堂がチームとして
どんなふうに開発を進めてきたのかを
お訊きしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 - 一同
- よろしくお願いいたします。
- 岩田
- まず、今回はプロデューサーの山上さんに
任天堂とモノリスソフト(※1)さんの
お付き合いがどのようにしてはじまったのか、
というところから話してもらいたいので、お願いします。 - 山上
- はい。わたしとモノリスソフトさんとのお付き合いは
『ディザスター』(※2)の開発にまでさかのぼります。
このソフトは、Wiiの発売に合わせて
「いままでにない、映像的に迫力のあるものをつくろう」
というテーマで挑戦したタイトルでした。
とはいえ、RPGの開発が得意なモノリスソフトさんが
アクションを軸にしたゲームを初めてつくることになったので、
開発に予定を大幅に超える時間がかかってしまったんです。
モノリスソフト=1999年に設立されたゲームソフト制作会社。『ゼノサーガ』シリーズのほか、『ディザスター デイ オブ クライシス』(Wii)や『ソーマブリンガー』(DS)なども開発。本社は東京・中目黒。
『ディザスター』=『ディザスター デイ オブ クライシス』。2008年9月に、Wiiソフトとして発売されたサバイバルアクションゲーム。
- 岩田
- 『ディザスター』が発売されたのは、結局、
Wiiが発売されて、2年近く経ってからになりましたからね。 - 山上
- はい。ですからWiiで2作目を出すのであれば、
モノリスソフトさんが経験豊富なRPGで
思う存分力を出してもらいたいということで、
『ディザスター』の開発の終盤から
徐々に今回の『ゼノブレイド』の開発に
移行するようなかたちをとりました。 - 岩田
- 今日、モノリスソフトさんからは、
高橋さんと小島さんのおふたりに参加いただいています。
では、モノリスソフトの小島さんは
今回が初めてということで、
簡単に自己紹介をお願いできますか。 - 小島
- はい。モノリスソフトの小島です。
僕は試作段階の途中から
このプロジェクトに参加しまして、
ディレクターとして、バトルシステムなど
現場でいろいろな仕事をしてきました。
よろしくお願いいたします。
- 岩田
- こちらこそ、よろしくお願いいたします。
さて、実は今日、高橋さんに単刀直入に
お訊きしたいことがあるんですが、
任天堂という会社といっしょにものづくりをして、
どんなことを感じられましたか?
どんな感想でもかまいませんので
お話ししていただけませんか。 - 高橋
- はい。単刀直入に言いますと・・・
すごいカルチャーショックを受けました。 - 岩田
- それはどんなところにですか?
- 高橋
- そもそも今回の『ゼノブレイド』は
もっと早く完成させるつもりだったんですが、
初めてチャレンジすることがたくさんありまして、
開発がとても難航してしまいました。
そこで、自分がやりたいと思っていたことを
すべて実現しようとすると、
当初に予定していた発売時期には
ぜんぜん間に合わないことがわかりましたので
ゲームの一部を諦めることを山上さんに相談したんです。 - 岩田
- いったんは、完成予定期日を優先させる
判断をされたんですね。 - 高橋
- そうなんです。わたしたちとしては
それはとても不本意なことではあるんですけど、
プロである以上、当初の完成予定は厳守しなければいけないと思ったんです。
でも、山上さんは
「ここまでつくったんだから、最後まで行きましょう。
会社の説得はわたしがしますから」とおっしゃってくれたんです。
「オケラの水渡り」(※3)という古い言葉がありますよね。
最初は元気に泳いでいても、途中でやめちゃうみたいな。
僕はこれまで、たくさんのソフトをつくってきましたが、
そういったことが、なくはなかったんです。
ですから今回も、自分が最初にやりたかったことには到底届かないけど、
それをまとめる方向で、気持ちを切り換えようとしていたんです。
ところが、「最後まで行きましょう」と山上さんから言われて、
任天堂さんの、納得できるまで最後までつくる、という姿勢に
今回は触れることができて、すごく驚きました。 - ※3「オケラの水渡り」=土中のオケラは泳ぎが得意でないことから生まれたことわざ。最初は熱心に物事に取り組むが、途中でやめてしまうことのたとえ。
- 岩田
- まあ、そのような判断をしたのは、
今回の『ゼノブレイド』には
最後まで、納得がいくようにつくる価値があると、
プロデューサーとして考えたからなんでしょう。
ディレクターの小島さんは、
「最後まで行きましょう」と言われたとき、
どんなことを考えましたか? - 小島
- ああ、これで絶対に逃げられないなと思いました(笑)。
- 岩田
- あははは(笑)。
最後まで泳ぎ続けるしかないと思ったんですね。 - 小島
- はい。高橋の構想はとても大きいものでしたし、
疲れが出てきた現場のスタッフに対して
「最後まで頑張ろう」と声をかけるのは
正直、辛かったりもしました。
でも、それは決してイヤなことではなかったんです。
やっぱりお客さんのことを考えたら、
納得できるまで、最後の最後までつくり込むことが
すごく大事なことだと思っていましたから。 - 岩田
- はい、よくわかります。
ところで、そもそもこのプロジェクトは、
「神様のような、すごく巨大な体の上で
人が暮らしていたら面白いんじゃないか」というアイデアを
高橋さんが思いついたという話からでしたよね。 - 高橋
- そうです。
“巨神(きょしん)”と“機神(きしん)”の2柱の模型を
まず最初につくって、そこから企画がスタートしました。 - 岩田
- 模型をつくられたのはいつ頃ですか?
- 高橋
- 2006年の7月です。
- 岩田
- 2006年7月というと、Wii発売の前からだったんですね。
つまり模型ができてからほぼ4年になるんですね。
そのあと、どんなことをしたんですか? - 高橋
- 次に考えたことは
どんなゲームシステムにして、
どんな物語にするかということです。
そこで、「未来視」をテーマにしまして、
未来が見える主人公を軸に、
彼が世界を変えていくような物語にしようと考えました。 - 岩田
- ゲームシステムと物語は
どれくらい自分のなかで練り込んでから、
任天堂に提案したんですか? - 高橋
- そんなに時間はかけていません。
本根(康之)(※4)が粘土をこねている間に
僕は企画書をつくるような感じでした。
本根康之さん=モノリスソフト取締役。スクウェア(現・スクウェア・エニックス)時代に、スーパーファミコン用ソフトとして発売された『クロノ・トリガー』(1995年)の開発に関わり、同社を退職後にモノリスソフトに移籍し、『バテン・カイトス』(ゲームキューブ)などを開発。
- 岩田
- ちなみにその頃、小島さんは何をされていたんですか?
- 小島
- 僕は『ディザスター』の開発にどっぷり入っていたんですけど、
模型をつくる様子を端から見てまして、
「本根はなんで遊んでるんだろう?」と思っていました(笑)。 - 一同
- (笑)
- 小島
- でも、そう感じたのは僕だけではなかったんです。
「会社のなかでどうして模型なんかつくってるんだ?」と
開発スタッフはみんな思っていたんです。 - 岩田
- 「こんなに忙しいときなのに、何してるんだ?」
みたいな感じだったんでしょうね(笑)。
- 小島
- はい(笑)。
しかも、若いスタッフを呼んで、巨神のポーズをとらせて、
それを見ながら模型をつくっていましたから。 - 高橋
- いや、ただ誤解のないように言っておきますと、
若いスタッフにポーズをとらせたのは
単に模型をつくることだけが目的ではなくて、
どんな姿勢をとれば、RPGのフィールドとして
成立させられるのか、それを見極めるためだったんです。
たとえば、日の当たらないところは、
寒々としたフィールドにしようとか・・・。 - 岩田
- 若手の方にポーズをとってもらって、模型をつくりながら、
それぞれのフィールドの特色を考えるような作業もしていたんですか。 - 高橋
- そうなんです。
物語は、“機神”の側に行くと、
それまでとはまったく違う世界が拡がっているんです。
そうやって会社の片隅で、模型をつくりながら、
イメージをふくらませていたんです。
まあ、端から見ると遊んでいるように見えたでしょうけど(笑)。