川島教授と開発スタッフに聞く、Switchの「脳トレ」。
「脳トレ」はなぜ流行ったのか?
そのプロセスで生まれたのが、「大人のドリル」だったわけですね。そして新分野を開拓するなかで、これまでにない研究成果も出して、書籍もベストセラーになっていた渦中の、まさに15年前の今日、岩田社長が訪ねてきた、と。
川島
同い年ですし、彼もゲームのプログラマでしたから、コンピュータを使いこなすことが仕事の中心でした。もう盛り上がりましたよね。

川島
ただ一番、岩田さんにシンパシーを感じたのは、彼の考え方なんです。理系の人間ならではのロジカルな思考が核にありながら、彼はその先に、色んなアイデアを膨らませられる。しかも、僕と同じように「面白い」ことが好きという匂いも感じるわけですよ。
川島先生のほうから岩田社長に要望したことはあるんですか?
川島
コミュニケーションツールにして欲しいという想いを強く伝えました。それが初代DSの「脳トレ」で、家族それぞれがログインして成績を比べ合う仕組みに繋がっています。
あのファミリーへの強いこだわりは、川島先生のものだったのですか?
川島
いや、むしろ岩田さんとまず気が合ったのが、そこです。二人とも、同じ想いを持っていたんですね。
本の「脳トレ」と同じですよ。小さな端末で、個人でこつこつ遊ぶのは、絵面としては別に「面白くない」。それが家族で成績を比べられたら、きっと笑えますからね。
それにしても当時、一作目があれだけ大ヒットするなんて思いましたか?
川島
いやあ、夢にも思いませんでしたよね(苦笑)。
河本
僕たちも、そうです。そもそも、紙で本が出ていて、そのほうがずっと安いわけですし、正直、そんなに売れないかもな……と思っていました。
でも、岩田さんが「大人のドリルをDSに落とし込みなさい」と言ったのが、結局は当たっていたんでしょうね。僕らが「一体どうなってるんだ!?」と驚いている中、岩田さんが一人でニコニコ喜んでいたような記憶です(笑)。
川島
当時、海外でテレビCMを観たときの、うちの大学院生の驚きようはなかったですね。学会で渡航したときに、夜中に時差ボケでテレビを見ていたら、コマーシャルで先生のポリゴンが出ているじゃないか、と。

川島教授のポリゴンモデル。
DS版(左)とSwitch版(右)。
あのCGもいま思うと凄いですよね。ここまでの話を聞いていると、川島先生はフランクに許してくれちゃいそうな気もしますが。
川島
ああ、でもその経緯は僕も気になっていて……気がついたら入ってましたから。どうしてなんですか(笑)?
河本
最初の企画書では、川島先生の実写をそのまま画面に出す想定でした。
でも、実写がぽんと出てくるのは、当時のDSのソフトとしては違和感が強い。その後は大学の先生っぽい教授帽を付けたイラストのキャラクターなども構想したのですが、現本部長の高橋が「これやと、おもろないなぁ」と。
で、彼の提案もあって、『スターフォックス』のラスボスを意識した、この粗めのポリゴンの今の形に収まりました。
元ネタは、そこだったんですか(笑)。
河本
もちろん、キャラクターとして面白くなるように調整しましたけどね。
高橋や担当デザイナーのこだわりが詰まってます。ただ、先生にOKをもらいに行くのは気が引けましたね。自分が大学に通っていた頃を考えても、大学の先生って真面目な方も多いので、怒られるんじゃないかな、と。
川島
僕は「面白い」のが好きなので、OKでしたよ。まあ、あれほど普及するとは思ってもいなかったですが。
しまいには、『大乱闘スマッシュブラザーズ』にまで出てしまって、遂にはゲームキャラにまでなり……。
久保
Switchの『スマブラSP』では、社内の担当者から依頼を受けて、僕が先生に許可をいただきに行きました。

あれの許可を貰いに行った人は、どんな気分だったんだろうと気になってましたが、目の前に(笑)。
川島
いやもう、やっぱり言いづらそうにしてましたよね。
一生懸命に動画で仕様の説明などをしてもらいましたけど、僕は「ええよー」って感じで、もう二つ返事ですね。
さすが、懐が深いですね(笑)。とはいえゲームにまで顔が出ると、当時は困ったことも多かったのではないですか?
川島
そりゃ、もう。今でも仙台で飲みに行くと、すれちがった後に「川島だ」と言っている声が聞こえたりします。せめて、先生くらい付けて呼んでくれるとうれしいなあ、と(笑)。あとは、いきなり子供に「パクチー!!」【※】と言われたりとか。
※パクチー
DS版「脳トレ」のタイトル画面で、川島教授に「パクチー」と呼びかけると、驚いたような表情になる。
そもそも、川島先生がパクチーが苦手というのは正しい情報なんですか(笑)?
川島
もちろん、正しいですよ。河本さんに「嫌いな食べ物、なんかないですか?」と聞かれて、あとでゲームを確認したら入っていて、「なるほど、ここに使われるのか」と。
今でも講演会の質問タイムで、小学生から「先生は本当にパクチーが嫌いなんですか?」って聞かれます。ゲームをやっている証だと思うので、うれしいといえばうれしいんですが(苦笑)。
有名になると、色々と起きるんですね(笑)。ちなみに、いま振り返ってみて、川島先生は「脳トレ」が流行った理由をどう分析されていますか?
川島
これは、僕も興味津々なテーマですよ。
ただ、人々が「内面に向き合うタイミング」だったんじゃないか――とは感じてますね。
高度成長期で「物の豊かさ」を追い求めていた時代だったら、あのゲームが売れた気はしないんですよ。でも、バブルも終わって経済的な豊かさも達成したら、そのあとに来るものって、やはり「自分」への関心だと思います。そのときに、あの「自分の内側を磨く」感覚というのが、当時の時代背景にマッチしていたような気はしています。
ただ、「脳トレ」という言葉がこれだけ広まったのは、やはりあのゲームのおかげですよね。